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2008 歌舞伎座 吉例顔見世大歌舞伎(夜の部) 菅原伝授手習鑑 寺子屋 船弁慶 八重桐廓噺

2008 歌舞伎座 吉例顔見世大歌舞伎(夜の部)菅原伝授手習鑑 寺子屋 船弁慶 八重桐廓噺

 十一月歌舞伎座夜の部では、「菅原伝授手習鑑 寺子屋」「船弁慶」「八重桐廓噺」などが上演されている。人形浄瑠璃の三大名作は「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」「菅原伝授手習鑑」であるが、今回上演された「寺子屋」も人気の高い屈指の義太夫狂言である。

以下参考のために記した演目筋書きは、歌舞伎座「ほうおう」十一月号より【抜粋引用】したものである。

「菅原伝授手習鑑 寺子屋(すがわらでんじゅてならいかがみ てらこや)」【菅原道真(菅丞相)は藤原時平の讒言により流罪となり、道真の家来だった武部源蔵(中村梅玉)は菅丞相の一子菅秀才(片岡千之助)を匿い、寺子屋の師匠として暮らしています。しかしこのことが露見し、菅秀才の首を渡すよう迫られます。源蔵はその日寺入りした小太郎(中村玉太郎)を斬り、検分役の春藤玄蕃(市川段四郎)と松王丸(片岡仁左衛門)にその首を菅秀才として差し出します。以外にも首を本物と認める松王丸。二人が去った後、小太郎の母千代(坂田藤十郎)があらわれ、源蔵は千代に斬りつけますが、姿を見せたのは松王丸。実は、小太郎は松王丸と千代夫婦の子。心ならずも藤原時平に奉公していた松王丸は、菅秀才を助けるためわが子を犠牲にしたのでした。】

 「菅原伝授手習鑑」とは、菅原道真と藤原時平の権力の争奪戦が、家来であった梅王丸、松王丸、桜丸の三兄弟にも波及し、さまざまな悲劇が広がっていく物語である。物語は菅原道真に恩を受けたにもかかわらず、松王丸が次男であったために、後の謀叛人藤原時平の家来となったことに悲劇の大本があった。

「寺小屋」において武部源蔵は、小太郎を菅秀才の身替りに首を刎ねて殺してしまうのだが、その残虐な行為を名台詞「せまじき(凄まじい)ものは宮仕え」の一言に転嫁し、免罪符としているように私には思えた。源蔵と戸浪は、主君のために他人の子を殺さなければならない辛さを演じていたのだが、視点を変えて考えれば功名心にはやっただけとの見方もできた。

首実検(首が本物であるか検分する)に登場した片岡仁左衛門丈演ずる松王丸は、髪がのびた鬘、白塗りの化粧に紫鉢巻をつけた病躯という姿である。わが子小太郎の首が納められた首桶を検分する姿は、見るも痛々しく心がえぐられるほどの名演技である。連れの目にも涙が溢れていた。

その後、菅秀才を助けるためわが子を犠牲にした松王丸と千代、源蔵や戸浪は涙に暮れるのだが、わが子小太郎が主君のために潔く死んだと聞かされた仁左衛門(松王丸)は、そこで「泣き笑い」の演技をみせる。

泣き笑いといえば「新薄雪物語」幕切れの「三人笑い」が思い浮かぶ。わが子を助けるために二人の父親が命を投げ出し、三人の父母が苦悩のどん底で、泣きながら笑いあってみせた話は、自分を犠牲にして子に尽くした親の愛が描かれている。「寺小屋」は、主君への忠義のために子殺しをする悲劇のお話だが、子を犠牲にした忠義な振る舞いに功名心がみえがくれして、とても遣り切れない芝居である。

竹本の語りにのって悲しい情感を表現しながら、一人ずつ焼香で幕切れとなった。歌舞伎狂言を冷めた目で観てはいけないのだろうが、錯雑暗然とした私の気持ちも御愁傷様である。桟敷で一人カップ酒を呷った。

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2008 新橋演舞場十一月 花形歌舞伎(昼の部) 伊勢音頭恋寝刃 吉野山

2008 新橋演舞場十一月 花形歌舞伎(昼の部) 伊勢音頭恋寝刃 吉野山

吹き始めた木枯しを頬に感じながら、東京メトロ東銀座駅から歩いていくと、お目当ての新橋演舞場の辺りには、あどけない様子の大勢の高校生たちが集まっている。どうやら課外授業の一環として歌舞伎鑑賞をおこなっているようで、その教育方針は羨ましいものにも思えた。きらきらとした若さに面映さを感じながら、花形歌舞伎昼の部を国士舘高等学校の学生諸君と共に観劇する機会に恵まれた。

 新橋演舞場十一月、花形歌舞伎(昼の部)は、通し狂言「伊勢音頭恋寝刃」(いせおんどこいのねたば)と義経千本桜から「吉野山」が上演されている。

 「伊勢音頭恋寝刃」は、二百十二年前に伊勢古市の遊郭で医者が遊女ら九人を殺傷し、その翌日に自刃し果てた史実(油屋騒動)を題材にして、歌舞伎狂言作者の近松徳三が、僅か三日間で書き上げ、事件から五十二日目には初日の幕を開けたというから驚きだ。日本人に特有なゴシップ好きは、今も昔も変わってはいないと感じられる。

(以下参考のために記した演目筋書きは、製作松竹の花形歌舞伎リーフレットより【抜粋引用】したものである。)

 「伊勢音頭恋寝刃」【阿波の国家老、今田九郎右衛門の息子万次郎(市川門之助)は、将軍家へ献上する青江下坂(あおえしもさか)の名刀紛失の詮議のため伊勢に来ましたが、古市の遊女お岸(澤村宗之助)の色香に溺れて通いつめています。刀を探しあてたものの、質入れして遊びの金としてしまい、大切な鑑定書である折紙まですり替えられてしまいます。

宿では、万次郎の後見役藤波左膳(市川右之助)から助力を乞われた家来筋の福岡貢(市川海老蔵)は、万次郎を陥れようとしている敵方の様子をうかがう奴林平(中村獅童)と貢は御家横領の詮議の手掛かりとなる密書を手に入れます。

 賑わう古市の遊女屋の油屋に、首尾よく手に入れた刀を万次郎に渡そうと貢はやって来ますが行き違いとなり、挙句の果てに、互いに想い合っていたはずのお紺(市川笑三郎)から突然愛想づかしをされます。逆上して、刀もすり替えられたと思った貢は、意地の悪い仲居の万野(上村吉弥)を始め、次々と人を斬り捨てていきます。】

 この作品は油屋騒動の史実には全く忠実ではなく、時の話題のみを巧みに利用した、似ても似つかない別物の話となっている。遊郭酒盛りの場で起こった男と女の刃傷ざたのスキャンダルは、類まれな作者の才能によって、蜂須賀家の御家騒動と、主人公の福岡貢(ふくおかみつぎ)が愁嘆場を演ずる名作品に仕立てられた。福岡貢は、様々な事柄をこらえ忍びながらも、どこかきりっとした好男子である役柄(ぴんとこな)である。

 市川海老蔵丈が務める貢が、謀かられた仲居の万野らとの遣り取りの中で、その感情が徐徐に高ぶって激昂していく様子は、役者に秘められた色気の一端もうかがえて、大変に見応えのある場面である。脇役、奴林平役の中村獅童丈の熱演も光ってみえた。

 刀の鞘が違っていた(中身は名刀の青江下坂)ために、驚き慌てた貢は、万野以下十人を斬り殺してしまう。その発端は言い争った貢が手にした刀で万野を打つと、鞘が割れて万野を誤って斬ってしまったことにあった。血を吸った名刀は妖刀に変ずる。「助けてくれ、人殺し」との悲鳴の中、血だるまとなりながら貢は、陶酔したかのように岩次(市川猿四郎)、北六(市川猿三郎)、お鹿(市川猿弥)たちを次々と斬り殺していく。凄惨な殺し場面は目前でスローテンポな演技で展開され、市川海老蔵丈は観客達を、残酷であやしい魅力の様式美の世界へと誘っていく。そこは足を踏み入れたら、二度と戻って来れない危うい世界であった。「名刀を、鈍(なまく)ら鞘に収めると、その鞘は割れてしまう」それはけだし至言である。

「義経千本桜 吉野山」【源義経は兄頼朝と不仲になり、河連法眼(かわつらほうげん)を頼って吉野山へと逃れてきました。義経を慕う静御前(尾上菊之助)は、家来の佐藤忠信、実は源九郎狐(尾上松緑)と共に、義経を探して吉野の山中を分け入っていきますが、いつの間にか忠信の姿を見失います。ところが、初音の鼓を打ち鳴らすとどこからともなく忠信が現れ出ます。忠信は壇ノ浦の合戦の様子を物語るところ、追手の逸見藤太(坂東亀三郎)が家来と共に現れます。忠信は藤太たちを追い散らし、静とともに道中を急ぐのでした。】

外は木枯らしが吹き下ろしていたが、舞台上は満開の桜が咲き誇る吉野山、目映いばかりの美しい春の情景である。佐藤忠信は実は初音の鼓に用いられた夫婦狐の子であり、親狐を慕って忠信に姿を変じて同道している。子狐である素性をほのめかす振る舞いは、引っこみの「狐六方」など、ところどころにちりばめられて、尾上松緑丈の忠信は、切れのある実に小気味よい演技だと思えた。静御前を演じた尾上菊之助丈からは、見惚れるほど卓越した女らしさと、ずばぬけた品の良さを感じた。伽羅先代萩(夜の部)政岡役とも相俟って大変に演技のすぐれた役者である。

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2008 新橋演舞場十一月 花形歌舞伎(夜の部) 伽羅先代萩 龍虎

2008 新橋演舞場十一月 花形歌舞伎(夜の部)伽羅先代萩 龍虎

新橋演舞場十一月、花形歌舞伎(夜の部)は、通し狂言「伽羅先代萩」(めいぼくせんだいはぎ)と「龍虎」が上演されている。

伽羅は「きゃら」と読み、「めいぼく」とは名木のことである。名木とはすぐれた香木、多くは伽羅をいうから「めいぼくせんだいはぎ」とは、当て字の読み方である。「伽羅先代萩」は、伊達騒動ものの代表的な歌舞伎狂言の時代物である。私は伊達騒動といえば三十八年も前に放映された、NHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」を思い出す。中学校の三年生であったが、平幹二朗が演ずる「原田甲斐」や、栗原小巻が演ずる「おたよ」などを観て毎週心がどよめいたものだ。

事には表と裏の二つの面があるが、「樅ノ木は残った」では、逆臣の汚名に耐え藩存続のため死んでいった功臣「原田甲斐」も、歌舞伎「伽羅先代萩」では、国崩し(一国を転覆させて我が物にしようとする悪人)の実悪「仁木弾正」として描かれる。

以下参考のために記した演目筋書きは、製作松竹の花形歌舞伎リーフレットより【抜粋引用】したものである。

 伽羅先代萩【足利頼兼(坂東亀三郎)は廓通いの明け暮れ、大磯の廓からの帰りに襲われますが事なきを得ます。御家横領を企む首謀者の仁木弾正(市川海老蔵)と妹八汐(片岡愛之助)は、鶴千代の乳人政岡(尾上菊之助)を陥れようとして失敗します。

政岡が鶴千代とわが子千松のために御膳の用意を始めると、そこへ管領山名宗全の奥方栄御前(市川右之助)が、鶴千代に菓子を持参して訪れます。すかさず飛び出して菓子を口にする毒見役の千松。苦しみもがく千松を見て、八汐は息の根を止めますが政岡は顔色一つ変えません。栄御前は、政岡が鶴千代と千松を取り替えていたのだと思い、政岡に連判状を預けます。ひとり残った御殿で、政岡はわが子の死に号泣。そこへ八汐が斬りかかってくるのを政岡は見事に仕留めますが、連判状は鼠に持ち去れてしまいます。

その鼠を、床下で荒獅子男之助(中村獅童)が捕まえるも取り逃がします。鼠の正体こそ実は仁木弾正。この内紛は幕府の門注所で評決を受けることになり、山名宗全(市村家橘)の裁きによって弾正方に有利になります。その危急に細川勝元(尾上松緑)が姿を現して、弾正の悪計があばかれます。追いつめられた弾正は国家老の渡辺外記左衛門(市川男女蔵)に斬りつけますが、正義派によって斬られ、足利家の騒動も無事に収まります。】

 「樅ノ木は残った」は仙台藩家老の原田甲斐が中心の人物として物語が展開したのだが、「伽羅先代萩」では女形屈指の大役といわれる乳人政岡が中心となる。命懸けで鶴千代を守り育てる女傑の姿と、我が子千松が殺されて悲嘆にくれる母の姿を、私は悲しく哀れに思え、重ねることはできない。

 尾上菊之助丈演じた政岡は、凛々しく上品な美しい守り役の姿であった。強欲で非情な弾正妹の八汐を熱演された片岡愛之助丈は、その達者な芸に舌を巻き、まこと油断のならない役者だと感じた。二人の名演技に仁木弾正役の天才市川海老蔵丈が花を添え、十二分にそれぞれの役柄を堪能することができたと思う。

 史実に題材をとった人気狂言である。実在した原田甲斐が逆臣か功臣かは存ぜぬが、原田家一族は全員が屋敷門前で処刑され、その後、祟りが噂された屋敷門を除き家屋はすべて取り壊され、土まで掘り起こして削ぎとられたという。それは恐ろしく身震いするほどの、人間がもつ変わらぬ憎悪である。

 龍虎【天の王者たる龍(片岡愛之助)と、地の覇者たる虎(中村獅童)。互いに相譲らぬ勢いで戦いを挑みます。両雄の戦いは果てしないものとなります。雌雄は決することはなく、見上げる頂には月が煌々と照っています。】

 二十分ほどの若さにあふれた踊りで、二人の呼吸はぴったりと合っていた。観客に息も吐かせず、見惚れるほどの迫力に圧倒された。新橋演舞場、十一月花形歌舞伎(夜の部)は心が引かれる舞台である。

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2008 歌舞伎座 吉例顔見世大歌舞伎(昼の部) 盟三五大切 廓文章

 2008 歌舞伎座 吉例顔見世大歌舞伎(昼の部)盟三五大切 廓文章

十一月歌舞伎座の昼の部は、通し狂言の「盟三五大切」(かみかけてさんごたいせつ)と「廓文章(くるわぶんしょう)」吉田屋が上演されている。

「盟三五大切」は四代目鶴屋南北の代表作である。これは百八十年前に深川の遊女屋で実際に起こった殺人事件に題材をとり、「五大力」「四谷怪談」「忠臣蔵」などの世界を、綯い交ぜ(時代、事件、人物など異なった二つ以上の在来の筋を絡ませて一編に仕立てる)にしている作品で、真面目に観ていると錯雑として、とても遣り切れない気分となる歌舞伎世話物であった。

以下参考のために記した演目筋書きは、歌舞伎座「ほうおう」十一月号より【抜粋引用】したものである。

通し狂言 盟三五大切【三五郎(尾上菊五郎)は深川芸者小万(中村時蔵)と子までなした仲。小万が芸者になったのは、三五郎の父親が旧主のために大金が必要なためで、小万は自分に惚れている浪人薩摩源五兵衛(片岡仁左衛門)から金を絞りとっています。源五兵衛は、実は不破数右衛門という塩冶家の侍。亡君の仇討ちに加わるため紛失した御用金を工面しようとしています。その源五兵衛のもとへ、伯父(中村東蔵)が百両を持参。三五郎と小万は早速その金に目を付けます。三五郎夫妻に金を騙し取られた源五兵衛は、三五郎と小万を殺そうとしますが、忍び込んだ家で誤ってその場にいた五人を殺害してしまいます。

逃げ延びた三五郎は引越先で父の了心(澤村田之助)に百両を渡し、了心は金を旧主に渡そうと立ち去ります。その後あらわれた源五兵衛に三五郎夫妻は怯えますが、源五兵衛は酒樽を置いて帰ります。その後、実は毒酒であるその酒を家主弥助(市川左團次)が飲み、苦しみだします。塩冶家の御用金を盗んだ張本人が弥助だと知った三五郎はこれを殺し、入手した高野家の絵図面を父に渡し、父の庵室にやってきます。再びあらわれた源五兵衛は、小万と赤子を惨殺します。殺人を重ねた源五兵衛は、了心の庵室にやってきます。了心の旧主とは、源五兵衛と名乗っていた不破数右衛門。三五郎は我が身を悔いて自害します。その場に塩冶の義士たちが集まり、数右衛門も仇討ちに向かうのでした。】

三五郎と小万が、色狂いした源五兵衛から金を巻き上げたあと、「二人は実は夫婦」だと明かして居直るくだりがある。その後に源五兵衛は花道をゆっくりと引き揚げるのだが、仁左衛門(源五兵衛)の憤怒の形相は鬼気迫るものを感じた。私はこのように凄みのある恐ろしい目つきをした男を見たことがない。やがて張られた伏線は、五人を切り殺した上、小万の首を刎ねその赤子まで惨殺した、ニヒリスティックな殺人鬼に源五兵衛を変身させる。

 芝居は忠義立てをする三五郎は切腹し、その妻小万と赤子は源五兵衛に惨殺されてしまう。そして女色におぼれた殺人鬼の源五兵衛は、不破数右衛門に戻って討入りに向かい、一転してヒーローとなる渾然とした結末となる。それは現代にも共通する、不条理の泥沼から、決して這い上がることが出来ない人間の様相を主題にしているようにも思えた。難役中の難役といわれる源五兵衛役を見事に演じてみせた、片岡仁左衛門丈は当代屈指の歌舞伎役者である。

毎月のように歌舞伎芝居を見物していると、思わず目を背けたくなる凡庸以下なものに遭遇してしまうことがある。十一月の「廓文章」がそれであった。

廓文章 吉田屋【大阪新町の吉田屋の店先。頃は師走、みすぼらしい紙衣姿で豪商藤屋の若旦那の伊左衛門(坂田藤十郎)がやってきます。扇屋の太夫夕霧(中村魁春)となじんだものの、今では借金を背負って勘当の身。店主の喜左衛門(片岡我當)は伊左衛門と気づき、奥座敷に案内します。夕霧が他の座敷に出ていると聞き、いらいらして待っていた伊左衛門は、あらわれた夕霧をなじりますが、夕霧の本心を知って仲直りします。そこへ、勘当が許されたという知らせと、夕霧の身請けの金が届けられるのでした。】

藤屋伊左衛門には、遊廓通いで、いまの金で七億円ほども借金があるが、食い詰めても悠々と横柄にしている御仁だ。「廓文章」は本年三月の大歌舞伎でも上演され、片岡仁左衛門が演じた若旦那の伊左衛門は、上方和事の代表作に相応しく、惚れ惚れとする薫りがした素晴らしいものであった。

反して今月に坂田藤十郎が演じた若旦那の伊左衛門は、見るに堪えないほど痛ましいものである。型のみをさらった、上っ面だけの心のこもらない芝居は、観客に何の感動も伝えてはいなかった。

当日、私は西桟敷席1で観劇していたのだが、見渡した一等席の前列では、ざっと二十人以上のご婦人達が寝入っておられたし、相対する東桟敷では開演中にもかかわらず、着物姿のご婦人が堂々と退出されていった。辛辣をきわめるこの状況を、人間国宝とされる御方は、舞台上からどのように思われていたのだろうか。観客の目は節穴ではない、藤十郎の看板が泣いている。

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2008 歌舞伎座 芸術祭十月大歌舞伎(夜の部) 本朝廿四孝 英執着獅子

2008 歌舞伎座 芸術祭十月大歌舞伎(夜の部)本朝廿四孝 英執着獅子

歌舞伎座百二十年、芸術祭十月大歌舞伎(夜の部)、本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう、十種香、狐火)で八重垣姫を演じた坂東玉三郎と、英執着獅子(はなぶさしゅうじゃくじし)で傾城後に獅子の精を踊った中村福助は、私が今年観た歌舞伎演目の中では白眉なものであった。当日は気に入る桟敷の席がとれなかったので、舞台上手の一列目一等席で観劇した。以下参考のために記した演目筋書きは、歌舞伎座「ほうおう」十月号より【引用】したものである。

本朝廿四孝(十種香)【越後国長尾謙信の娘八重垣姫(坂東玉三郎)は、甲斐国武田信玄の息子勝頼(尾上菊之助)と許嫁の間柄。両家が不和になるなか、勝頼が切腹したと聞かされ、姫は一間にこもって一心に回向をしています。実は、切腹した勝頼は偽者で、本物の勝頼は花作りの簑作となり、偽勝頼の恋人濡衣(中村福助)とともに、長尾家に召抱えられて謙信の館に入り込んでいます。絵像とそっくりの若者が目の前にあらわれ、一目で恋に落ちる八重垣姫。自らの恋心を訴える姫に、濡衣は簔作が本当の勝頼であることを明かします。しかし、簑作の素性を知る謙信(市川團蔵)は、簑作を使者に出して途中で暗殺しようとします。】

本朝廿四孝は、歌舞伎作品の中では時代物(江戸時代から過去の話)に分類される。歌舞伎作品「時代物」の筋書きとは、実にいい加減なものが多いために、冷めた目で見るとかなり辛い芝居見物となる。しかしながら「歌舞伎とは様式美」そのものであるから、歌舞伎は役者の技芸を観る演劇だと定義してしまえば、観客は演目の役柄を存分に楽しむことが出来るのであろう。

「十種香」は、舞台上手に八重垣姫の居室を、舞台下手に腰元濡衣の部屋を据え、対照をなしながら物語が展開していく。私の座席は舞台八重垣姫居室の真ん前である。緋綸子の振袖を着た、深窓の姫が恋い焦がれる御姿を対面で鑑賞できたのは幸せであった。玉三郎演ずる八重垣姫は、とてもこの世のものとは思われないほどの美しさである。その視線は見えないものが見えているように、常に中空に向けられている。最大の眼目であるクドキ(恋の情念)では、柱に目にも彩かな緋色の振袖を巻きつけた「柱巻き」の情景がまぶたに残って、私は胸のどよめきを鎮めることができない。

本朝廿四孝(狐火)【勝頼の安否を気遣う八重垣姫(玉三郎)は、奥庭の祭壇にある諏訪法性の兜に向かって必死に祈ります。姫が兜を手にすると、庭の泉水に写る姿はまさしく狐。これこそ、諏訪明神の使いである狐が兜を守護する奇瑞と、狐に導かれた姫は、勝頼に危急を知らせるため諏訪湖の氷の上を渡ろうと急ぐのでした。】

兜に宿った諏訪法性の狐の精に導かれ許婚を救うため、花道七三まで歩み出で、空を見上げ「翼が欲しい羽根が欲しい」と声をあげた八重垣姫の姿は、感動のためか、まるで紗をかけたように霞んで見えた。

坂東玉三郎丈は歌舞伎爛漫の中で「八重垣姫のように恋の一途さに、焦点を当てて見せるのは、分かりやすいことと思います。」と述べられている。

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