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(日本料理)なだ万 本店 山茶花荘

「なだ万 本店 山茶花荘」 ☆☆☆☆☆

数か月前から取りかかっていた仕事が小さな区切りをみた。ここ最近は馴染みの料理店ばかりを訪れていたのだが、久しぶりに新しい店に行ってみたい気分になる。街は木枯らしの吹き下ろす季節へと変わった。赤坂見附駅の紀尾井町出口から外濠に架かる弁慶橋を越えると、ホテルニューオータニ東京はすぐ目の前にある。

このホテルの日本庭園はすでに四百年の歴史を有する名園で、目当ての「なだ万本店 山茶花荘」はその庭園の一角に佇んでいる。平日休みの午餐だというのに空はあいにくの雨模様だ。人の気配もない遊歩道を転げた落ち葉を踏みしだきながら、連れと二人料亭に向かった。霞んだ庭の緑の深みには、形ばかりの『銀座うかい亭』などよりは、余程ましだと思われる、鉄板焼きレストラン『石心亭』の建物も見える。

 竹塀と赤花が濡れる山茶花の垣根に挟まれた錆砂利の小路を抜けると、料亭の門前に出る。その門前には氷雨の中、私達を出迎えるために立つ、半纏を羽織った二名の男性の姿があった。竹林と木々の緑に囲まれた柿板葺きの門は閑寂な趣がある。数寄屋造りの建物に向かい石畳の坂をゆっくりと上っていくと、どこか純朴で心が安らぐような雰囲気が感じられた。

 入口で二名の仲居から丁寧な出迎えを受けた。薫きこめられた香木のかおりが仄かに残る玄関から案内されたのは、四室ある日本間のうち、十七畳もある瀟洒な「葵」という和室である。二つの席は相対に分かれていたが、私達の様子を瞬時に見取った仲居は「お庭など眺めながら存分に食事をお楽しみください」と座席を横並びに設え直してくれた。この料亭の昼のコース料理は二万五千二百円と三万千五百円、夜のコース料理は六万円となる。当日は三万千五百円のコースを予約しておいた。十二月中旬の午餐、供された料理はつぎのとおりである。

(先付)河豚煮こごり 才巻海老 椎茸 白子掛け 葱

(前菜)芹 しめじ黄金和え、 千枚蕪サーモン巻き いくら、きんこ白和え、新唐墨 大根、〆鯖小袖寿司、海老松風、 芽慈姑

(吸物)蟹すり流し 焼き餅 あられ人参 芽葱

(造り)鰤 鮃 牡丹海老

(焼物)鮑雲丹焼き えぼだい西京焼き 菊花蕪

(煮物)小鍋仕立て 甘鯛みぞれ小鍋 海老芋 舞茸 水菜

(食事)五目かやく釜炊き御飯 香の物 盛り合わせ

(止椀)赤出汁

(果物)デコポンゼリー掛け キウィ 苺 マンゴー

(甘味)干し柿 抹茶

 料理は今が旬の魚介や蔬菜を多用しその味付けは、ほんのりと甘くしっかりとしたものである。吟味された器で供された料理は、私の口には大変に合って美味しく感じられた。日本酒は冷用酒と燗酒用の二種類が用意され、どちらも京都伏見の蔵元で醸造された「なだ万」オリジナルのものだ。料理の味を邪魔せぬように造られた淡麗辛口の酒は絶妙な人肌燗で供される。係りの三名の仲居達からは手厚いもてなしを受ける。それは付かず離れずの距離を保ちながら、細かいところまで心を配っている見事な接客で、連れと二人まことに寛ぐことができた。

 ひっそりと静まり返った座敷で、鳥のさえずりに耳を傾けながら猪口を舐め、ぼんやりこの一年に思いを巡らした。錆砂利が敷かれ芝草が植えられた中庭からホテル庭園を望むことができる。池の名残りモミジの枝先にとまって動かぬ青緑色のカワセミは、靄の中に輝いてみえた。本日は「料亭の斯くあるべき姿」を見たように思える。ホテル庭園内に佇む料亭「なだ万 本店 山茶花荘」は、まったく別格の料亭であった。

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2008 歌舞伎座 十二月大歌舞伎 (夜の部) 名鷹誉石切 高坏 籠釣瓶花街酔醒

2008 歌舞伎座 十二月大歌舞伎(夜の部)名鷹誉石切 高坏 籠釣瓶花街酔醒

歌舞伎座十二月大歌舞伎(夜の部)は、「名鷹誉石切(なるたかしほまれのいしきり)」「高坏(たかつき)」「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」を上演している。「名鷹誉石切」と「籠釣瓶花街酔醒」は名刀と妖刀、どちらも刀に纏わる話であった。

「名鷹誉石切」に登場する梶原景時(中村富十郎)は、のちの世に悪評をとどめようとも、格好は平家、心の内は源氏だという御仁である。歌舞伎の様式美にあふれるこの作品は、白鞘に収められた名刀の目利き、二つ胴の試し斬り、手水鉢を真っ二つに斬るなど、三つの演じわけが最大の見所であった。七十九歳とは思えぬ、力強い中村富十郎丈のめりはりのきいた台詞は、私の心を魅了するものである。試し斬りにされる、死罪と決まった囚人呑助(市村家橘)が見事な「酒尽くし」の台詞で、息抜きの喜劇を見せたのも興味深いものであった。源氏方、娘婿の旗揚げ資金とするため売買される名刀の代金は三百両、現在の二、三千万円だというから恐れ入る。

以下参考のために記した「籠釣瓶花街酔醒」の筋書きは、歌舞伎座「ほうおう」十二月号より【抜粋引用】したものである。

「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」【桜が咲き誇る吉原仲之町。下野佐野から江戸に出てきた絹商人佐野次郎左衛門(松本幸四郎)は花魁の道中に出会い、兵庫屋八ツ橋(中村福助)の美しさに呆然とします。それから次郎左衛門は八ツ橋のもとに通いつめ、やがて身請け話がまとまろうとします。しかし八ツ橋には繁山栄之丞(市川染五郎)という浪人の間夫がおり、八ツ橋は栄之丞から次郎左衛門との縁をきるように強く迫られます。切羽つまった八ツ橋は、満座の中で次郎左衛門に愛想づかし。突然の仕打ちに次郎左衛門は愕然としますが、身請けを思いとどまります。大勢のいる場所で恥をかかされたことから、次郎左衛門は八ツ橋を深く恨み、数か月後に江戸にあらわれると、妖刀籠釣瓶で八ツ橋を切り殺すのでした。】

この狂言は今から二百九十年ほど前の享保七年に起こった「吉原百人斬り」の史実を題材にしている。下野佐野から浅草吉原に見物にきた、山出しの絹商人次郎左衛門(幸四郎)は、花魁道中の八ツ橋(福助)の美しさに一目惚れしてしまう。舞台「七三」の花道では八ツ橋が艶然とした笑みを浮かべる「見染め」という見せ場となる。西桟敷私の目前で、ゆっくりと微笑んだ口元から黒く染めた歯が妖しく覗いて見えた。それは次郎左衛門を狂わせ、男達を魅了してしまう妖艶な微笑みである。八ツ橋を演じた中村福助丈からは、女性を遥かに超越した見惚れるほどの美しさを感じた。

それから半年の間、八ツ橋に現を抜かした田舎者は、金に飽かして三日と間を空けず豪奢な吉原に通い詰める。そして二幕目は、すっかりと垢抜けのした次郎左衛門が登場する。吉原の座敷では、その都度祝儀をはずまなければ野暮な客だと言われてしまう。今も昔も粋な客とは金離れのいい人をいうから、粋な客(お大尽)と呼ばれることは誠に大変なことである。そんなことから、吉原遊廓に纏わる洒落の七不思議として「遣り手といえども取るばかり」という言葉も残っている。遣り手とは、客や遊女から金をかすめとる因業な遣り手婆のことである。

 やがて八ツ橋は間夫(遊女の情夫)である栄之丞(染五郎)から、次郎左衛門との縁をきるように強く迫られる。ここで満座の中で次郎左衛門に愛想づかしする最大の見せ場「縁切り」となる。胡弓の哀しい響きが流れるなか八ツ橋の愛想づかしは続いて、それは松本幸四郎丈(次郎左衛門)の「花魁そりゃあんまりそでなかろうぜ」との名台詞に繋がる。十二分な間を置きながら、腹の底から声を絞り出した高麗屋の名台詞は、駆られた愛欲の泥沼から、這い出ることはできない男の真情を吐露しているようで見事であった。

その四か月も後、妖刀籠釣瓶を携えた次郎左衛門は、吉原立花屋に現れ出でて八ツ橋と女中の二人を斬り殺して幕となった。私は次郎左衛門の執念深さと往生際の悪さに愕然とし、花魁八ツ橋の哀れに思いをめぐらした。人の心が金で買える筈もなく、肉欲に溺れるのはほんの一時である。惚れた花魁にすべてを貢いでやることが人生最高の快楽であったことを、にわか大尽の佐野次郎左衛門は忘れてしまったのだろう。

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