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2009 歌舞伎座さよなら公演 壽初春大歌舞伎(夜の部) 壽曽我対面 春興鏡獅子 鰯売恋曳網

2009 歌舞伎座さよなら公演 壽初春大歌舞伎(夜の部)壽曽我対面  春興鏡獅子  鰯売恋曳網   

歌舞伎座さよなら公演 一月の壽初春大歌舞伎(夜の部)は、「壽曽我対面(ことぶきそがたいめん)」「春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)」と、三島歌舞伎「鰯売恋曳網(いわしうりこいのひきあみ)」が上演されていた。以下参考のために記した筋書きは、歌舞伎ウェブサイトの「歌舞伎美人」公演情報みどころより【抜粋引用】したものである。

 「壽曽我対面(ことぶきそがたいめん)」【富士巻狩りの総奉行に任じられた工藤祐経(松本幸四郎)は、祝宴を館で催し、大磯の虎(中村芝雀)、化粧坂少将(尾上菊之助)を始めとした傾城や、家臣の近江小藤太(市川染五郎)、八幡三郎(尾上松緑)ほか、梶原景時(松本錦吾)、梶原景高(片岡亀蔵)親子が集まっています。小林朝比奈の妹舞鶴(中村魁春)は、工藤に会わせたい人がいると二人の若者を呼び寄せます。

実はこの若者は、工藤が討った河津三郎の遺児である曽我十郎(尾上菊五郎)、曽我五郎(中村吉右衛門)兄弟でした。父の仇を晴らそうと五郎は工藤に駆け寄りますが、十郎が止めます。ふたりの様子を見て工藤は、仇討ちより兄弟の養父が紛失した友切丸の探索こそが重要だと説きます。

そこへ兄弟の家臣である鬼王新左衛門(中村梅玉)が駆け付け、行方不明となっていた友切丸を工藤に差し出します。すると工藤は、富士の巻狩りを終えた後で、兄弟に討たれる覚悟を示して別れるのでした。】

初春に曽我狂言が上演されるのは、苦節の後見事に仇討ちを果たし、現人神と称された曽我兄弟を演ずることで、悪鬼を祓おうとした伝承である。解説者はこの時代物狂言を「筋を考えず、正月の置物のようなものだ」と言われた。

まこと筋を考えず、芝居は仇役の幸四郎丈(工藤祐経)が座頭となり、菊五郎丈(十郎)が和事の様式で分別のある兄を演じ、吉右衛門丈(五郎)が荒事の様式で血気にはやる弟を見せる。特に大ぶりな衣裳で「むきみ隈」を取った、五郎役・吉右衛門丈の戦いを挑もうとする勇姿は圧巻に思えた。奥座に「並び大名」十名を配置し、上演された舞台は華やかで素晴らしい一語に尽きる。大詰めは登場した人物達が富士山、鶴亀をかたどって新年らしい縁起のよい幕切れとなる。

 一月歌舞伎座夜の部の主役は中村勘三郎丈であろう。「春興鏡獅子」では、女小姓弥生後に獅子の精の二つをストイックに演じ分け、小一時間も華やかに舞い踊った。つづく「鰯売恋曳網」では猿源氏を熱演した。

 「鰯売恋曳網(いわしうりこいのひきあみ)」【鰯売りの猿源氏(中村勘三郎)は、高位の遊女である蛍火(坂東玉三郎)を見初めて、恋焦がれています。そこで猿源氏の父である海老名なあみだぶつ(坂東彌十郎)は、猿源氏を大名に、博労の六朗左衛門(市川染五郎)を家老に仕立てて廓に向かいます。

一方、蛍火は茶屋の座敷で、怪しげな庭男(片岡亀蔵)を目に止めます。ここへ宇都宮弾正とその身を偽る猿源氏がやって来るので、茶屋の亭主(中村東蔵)は、猿源氏たちを丁寧にもてなします。やがて猿源氏は蛍火の膝の上で寝るうちに、鰯売の売り声を寝言で言ってしまい・・・】

 「伊勢の国の阿漕ヶ浦(あこぎがうら)の猿源氏が鰯かうえい」の売り声で始まるこの作品は、三島由紀夫の歌舞伎名作だと言われている。粗筋は大らかで滑稽味溢れた喜劇仕立てとなっており、その夢想的な内容はたびたび観客の笑いを誘っていた。

猿源氏が蛍火の頼みで、鯛の赤介、平目の大介、蛸の入道など「魚たちの合戦」を物語るくだりなどは、その抜きん出た素養がびんびんと心に伝わって、勘三郎丈は誠に凄味のある役者であると感じた。非のうちどころはない役者故に高踏的な雰囲気が鼻について、私は中村屋の贔屓筋ではないのだが、オールマイティーで緩急自在の演技力は、彼に及ぶ歌舞伎役者など決していないように思える。

 筋書きの続きは、「姫君だった蛍火は、十年前に高殿で聞いた猿源氏の売り声に惚れて、城を出たもの人買いに廓に売られて遊女の身の上となった。蛍火の話を聞いた猿源氏は自分の素性を明かし、蛍火は猿源氏の女房となり廓を出ていく。」という話である。

 廓で「粋様」と呼ばれる、なあみだぶつを演じた坂東彌十郎丈はキーマンとして燻し銀の演技である。幕切れは花道七三で、めでたく結ばれた勘三郎(猿源氏)と玉三郎(蛍火)の掛け合いとなる。一列目花道下で観劇する私達には至福の時、大迫力の場面となった。見上げた中村勘三郎丈の顔には汗が迸り輝いて見えた、手を伸ばせば届く坂東玉三郎丈演ずる遊女蛍火は、立ち姿と襟首が妖しいほどに艶めかしく美しい。

女房となった蛍火が、刀の鞘を天秤棒に見立てて担ぎ、床をドンと踏み鳴らし台詞を決める。「伊勢の国の阿漕ヶ浦(あこぎがうら)の猿源氏が鰯かうえい」

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2009 新橋演舞場一月 初春花形歌舞伎(夜の部) 七つ面 恋飛脚大和往来封印切  弁天娘女男白波白波五人男

 2009 新橋演舞場一月 初春花形歌舞伎(夜の部)  七つ面 恋飛脚大和往来封印切  弁天娘女男白波白波五人男 

 市川海老蔵丈は初春花形歌舞伎において、昼夜五つもの役を務められている。恐れいった非凡な才能を持った役者である。新橋演舞場一月夜の部では、新年にちなみ市川家成田屋のお家芸である「歌舞伎十八番」の内から「七つ面(ななつめん)」が上演されている。舞台正面の大きな赤富士を背景に繊細で切れのよい演技を見せた。                                            

 面打ちの名人である元興寺(がごぜ)赤右衛門(市川海老蔵)が七つ面を用い、厄除けの儀式を執り行う芝居である。翁、猿、荒事の若衆、公家荒、関羽、般若、恵比寿の七つ面を着けて七役早変わりしながら見事に舞い踊った。そこに面打ち師仲間の六人(右近、笑也、猿弥、春猿、段治郎、弘太郎)が加わり、めでたい七福神になぞらえて華やかな幕切れとなった。

 以下参考のために記した筋書きは、歌舞伎公式ウェブサイトの「歌舞伎美人」公演情報みどころより【抜粋引用】したものである。

 「恋飛脚大和往来(こいびきゃくやまとおうらい)封印切」【飛脚問屋の養子亀屋忠兵衛(中村獅童)と遊女梅川(市川笑三郎)は将来を言い交わした仲。忠兵衛は身請けの手付五十両を打ちますが、残り二百両の支払いに窮しています。井筒屋のおえん(市川門之助)の取り計らいで、忠兵衛は梅川と久しぶりに再会します。

 そこへ忠兵衛の飛脚仲間・丹波屋八右衛門(市川猿弥)が現れ、梅川の身請けを断れた腹いせに、忠兵衛の悪態をつき出す始末。この様子を窺っていた忠兵衛は我慢できずに姿を現し、ついには屋敷に届けるはずだった為替の金の封印を・・・】

 花道を行きつ戻りつ、ゆらゆらと忠兵衛が登場する。上方和事狂言では美男子二枚目は三枚目に演ずることがお約束になっている。獅童丈のデフォルメされた演技により、二枚目を気取る自惚れた忠兵衛役は大変に味があった。そして金持ちでありながら、廓で燗冷ましの只酒を欲しがるような恋敵、しみったれた八右衛門は猿弥丈により、どこか憎めないひょうきんな人物として演じられた。

 梅川の身請け金は二百五十両、今の金で二千五百万円という大金である。女に好かれても金のない戯け者の忠兵衛と、金はあるのに吝嗇で嫌われ者の八右衛門、二人のまくし立てるような応酬(じゃらじゃらとした口説の見せ場)は、見応えもたっぷりで堪能できた。

 やがて忠兵衛が包金を金火鉢に叩きつけているうち封印が切れてしまう。公金の封印を切れば斬首であり、ここから忠兵衛の様相はがらりと変わる。おかした大罪を梅川(笑三郎)に明かし一緒に死んで欲しいと頼み、梅川は自分のために罪を犯した男に心を募らせ申し入れを受ける。笑三郎丈演ずる梅川は哀れを誘い、その彫りの深い目鼻立ちと相まって震い付きたくなるほど艶麗な女方に映った。心中を覚悟した二人は廓の連中には見栄を張り、嘘をついて忠兵衛の故郷へと向かう。

 「弁天娘女男白波(べんてんむすめめおのしらなみ)白波五人男」【浜松屋に武家の娘(市川海老蔵)と供侍(中村獅童)が婚礼の品を選びにやってきます。娘は万引きをしたとの疑いをかけられ打ち据えられます。ところが店の者の誤りだったことが分かり、供侍の求めに応じて浜松屋幸兵衛(市川右之助)は百両を渡そうとします。それを玉島逸当(市川左團次)という侍が呼び止め、娘が男であると見破ります。実はこの二人は弁天小僧(海老蔵)、南郷力丸(獅童)という盗賊二人組。そして玉島逸当こそ盗賊の首領・日本駄右衛門(左團次)で、浜松屋の金を奪い取ろうとする企みでした。】

 【追手を逃れて稲瀬川に勢揃いした白波五人男は名乗りをあげます。やがて弁天小僧は、追い詰められ極楽寺の屋根の上で潔く立腹を切ります。一方、山門に潜む駄右衛門は・・・】

 浜松屋で正体を明かすのは、錦絵のように精緻で美しい海老蔵丈演ずる弁天小僧菊之助だ。片肌脱いで有名な台詞で名乗る。

 「知らざァ言って聞かせやしょう。浜の真砂と五右衛門が歌に残した盗人の種は尽きねえ七里が浜、その白浪の夜働き、以前を言やァ江の島で年季勤めの稚児ヶ淵、百味で散らす蒔銭を当に小皿の一文子、百が二百と賽銭のくすね銭せえだんだんに悪事はのぼる上の宮、岩本院で講中の枕さがしも度重なり、お手長講と札つきにとうとう島を追い出され、それから若衆の美人局、ここやかしこの寺島で小耳に聞いたじいさんの似ぬ声色で小ゆすりかたり、名さえゆかりの弁天小僧菊之助たァおれが事だ」

  台詞が終わるやいなや、あちこちの大向こうから「成田屋」の声がかかる。

 日本駄右衛門(左團次)、弁天小僧菊之助(海老蔵)、忠信利平(段治郎)、赤星十三郎(春猿)、南郷力丸(獅童)の五人は満開の桜咲く稲瀬川で勢揃いし、黙阿弥調のなだらかで美しい台詞をきかせる。華麗で様式美に溢れた歌舞伎ならではの演目である。
 
 市川海老蔵丈と中村獅童丈の素晴らしい演技が光った一月の舞台であった。

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2009 歌舞伎座さよなら公演 壽初春大歌舞伎(昼の部) 祝初春式三番叟 俊寛 十六夜清心 鷺娘

2009 歌舞伎座さよなら公演 壽初春大歌舞伎(昼の部) 祝初春式三番叟 俊寛 十六夜清心 鷺娘

歌舞伎座正月の舞台(昼の部)は、「祝初春式三番叟(いわうはるしきさんばそう)」「俊寛」「十六夜清心(いざよいせいしん)」「鷺娘」などが上演された。培われて来た歴史が沁みこんだ歌舞伎座場内には、凛とした新年の気配が漲っている。

「とうとうたらり たらりらたらり ららりとう」の唄い出しから、「祝初春式三番叟」の厳かな祈りの舞が始まった。翁は人間国宝八十歳になられる中村富十郎丈が、千歳を花形役者の尾上松緑丈と美形の尾上菊之助丈がつとめ、三番叟は重鎮の中村梅玉丈という豪華な配役で舞い踊る。やがて三番叟が鳴らしながら踊る、清々しい祓いの鈴の音を聴きながら舞い納めとなった。

以下参考のために記した筋書きは、歌舞伎公式ウェブサイトの「歌舞伎美人」公演情報みどころより【抜粋引用】したものである。

「平家女護島 俊寛」【絶海の孤島に流罪となった俊寛僧都(松本幸四郎)、平判官康頼(中村歌六)、丹波少将成経(市川染五郎)は、流人の生活に疲れ果てています。成経は土地の海女である千鳥(中村芝雀)と夫婦になり、一同はふたりを祝います。ここへ都からの赦免船が到着し、丹左衛門尉基康(中村梅玉)と、瀬尾太郎兼康(坂東彦三郎)が上使として現れますが・・・】

純情可憐な海女千鳥を演じた芝雀丈の演技が光り、武士の情けに溢れた丹左衛門(梅玉)と、慈悲心の欠片もない平家悪行の権化、瀬尾(彦三郎)の姿が好対照に演じられており面白かった。俊寛は赦免船に自分の代わりに千鳥を乗船させ、潔く一人孤島に残る。しかし陸から遠ざかっていく赦免船を見て煩悩がよみがえり、狂ったように船を追ってしまう。いつまでも遠ざかっていく船に向かい「おーい、おーい」と呼び続け、叫び続け、最後は石のようになってしまう幸四郎丈(俊寛)の大熱演は胸を熱くする。

「十六夜清心(いざよいせいしん)」【極楽寺の僧である清心(尾上菊五郎)は、遊女の十六夜(中村時蔵)と深い仲になったため、女犯の罪で寺を追われてしまいます。そして清心と十六夜は心中を決意して入水しますが、十六夜は舟遊びをしていた俳諧師白蓮(中村吉右衛門)と、船頭の三次(中村歌昇)に救われます。一方の清心も水練に堪能であったために死に損ないます。やがて清心は、癪を起して苦しむ恋塚求女(中村梅枝)を助けた拍子に懐の大金に触れ・・・】

十九歳、艶麗な女の十六夜(時蔵)が、二十五歳の清心(菊五郎)に女心を掻き口説く場面は、遊女でありながら、艶やかさの中に初々しい無垢な女心が垣間見えて堪らない。殺すも不憫、連れてもいけず、死を覚悟した二人の道行は絵のように美しく輝いて見えた。その後、死に損なった清心が、なりゆきで求女(梅枝)を殺し五十両の大金を奪ってしまう。突如変貌し悪道を行く決心をした清心は決め台詞を吐いてやがて幕となる。「しかし待てよ。悪事を知るのはお月様と俺ばかり。人間わずか五十年。首尾良く生きても十年か十五年。一人殺すも千人殺すも、取られる首はたった一つ。こいつは滅多に死なれぬわい。」

人間にとって一番大切なことはプライドであるはずなのに、金さえあれば栄耀栄華に暮らせるなどと思う清心は大戯け者である。尾上菊五郎丈演ずる清心の役は、まさに填まり役に思えた。後に清心は、鬼薊(おにあざみ)の清吉となり話は複雑に展開していく。まことに歌舞伎は面白い。 

「鷺娘(さぎむすめ)」【池のほとりでしょんぼりと立っている娘は、鷺の精(坂東玉三郎)が人間に姿を変えたもの。やがて鷺の精は自らの恋を語りながら踊っていきますが、道ならぬ恋をしたために地獄の責めを受け、降りしきる雪の中、息絶えます。】

この舞台を満場のご婦人たちは、待ち焦がれていたに違いない。坂東玉三郎丈屈指の当り役「鷺娘」である。一面白色の舞台には、一本の雪持ち柳がポッンと立っている。白銀の水辺に降り立ったのは、白無垢に傘をさした鷺娘(玉三郎)だ。恋にやつれた娘の姿を、身じろぎもせず水辺で小魚を獲る鷺に投影して、鷺足の動きや白無垢の振袖を羽に見立てて、幻想優美に舞い踊る。衣装が引き抜かれると鮮やかな衣装の町娘に変じて軽やかな踊りを披露する。衣装を変えながら汐汲みの振りなどを見せ、最後は一転して地獄の責め苦を見せる振りとなり息絶えた。私には激しく降りしきる雪が、散りさかる薄墨の桜花にも見えた。恍惚と見入った玉三郎丈の舞台は美の極致にも思える。

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2009 新橋演舞場一月 初春花形歌舞伎(昼の部) 二人三番叟 口上 義経千本桜 すし屋 お祭り

2009 新橋演舞場一月 初春花形歌舞伎(昼の部)二人三番叟 口上 義経千本桜 すし屋 お祭り

今年初の歌舞伎観劇は、松の内七日に新橋演舞場に出向いた。華やいだ新年に相応しく一月昼の部は、「二人三番叟」「口上」「義経千本桜 すし屋」「お祭り」などの演目が上演されている。

五穀豊穣を願う祝いの舞「二人三番叟(ににんさんばそう)」は、翁を市川段治郎丈が、千歳を市川笑也丈、附千歳を市川弘太郎丈、三番叟を市川右近丈と市川猿弥丈が舞い踊った。もともとは能楽の「翁」を歌舞伎にしたもので、歌舞伎舞踊らしく賑やかで非常に躍動的であるが、神聖なものとして上品に演じられている。そして二人の三番叟が連れ舞い(踊りくらべ)を舞うために、演ずる役者二人の技量が伯仲していることも大切だ。市川猿之助一門の方々は、まことに実力ある役者が揃う。姿形も似通った右近と猿弥の踊りは遠目のバランスも極めてよく、迫力や爽やかさなどすべてを兼ね備えた、心もちの良い舞台となった。

芝居の繁栄を祈念した江戸歌舞伎の「仕初式(しぞめしき)」の式次に則り、「二人三番叟」に続いて「口上」が披露される。寿初春「口上(こうじょう)」は、團十郎「にらみ」の見得も入れて座頭である市川海老蔵がつとめた。巻物に書かれた初春の演目と配役を読み上げた後、「吉例なれば一つにらんでご覧にいれます」と言って正面をグッと睨む。その神憑る眼光に、私の心はどよめきを抑えることができない。睨んでもらうと「一年間無病息災」との言い伝えは、團十郎をこよなく愛した江戸庶民の夢と粋の名残であろう。

 以下参考のために記した筋書きは、歌舞伎公式ウェブサイトの「歌舞伎美人」公演情報みどころより【抜粋引用】したものである。

「義経千本桜 木の実・小金吾討死・すし屋」【平維盛の妻・若葉(市川笑也)と嫡子・六代君、家臣の小金吾(市川段治郎)が維盛の行方を捜しています。いがみの権太(市川海老蔵)が現れ、小金吾に因縁をつけて金を巻き上げます。その後、小金吾は追手に囲まれてあえなく討死。そこに通りかかった権太の父・弥左衛門(市川左團次)は、小金吾の首を持ち帰ります。

 弥左衛門は、維盛(市川門之助)を弥助と名乗らせ匿っています。この家の娘お里(市川春猿)は弥助に恋していますが、その素性を知り、身を切られる思いで逃がします。様子を窺っていた権太の訴えにより、ほどなく梶原景時(中村獅童)が詮議に訪れます。権太は維盛の首と生け捕りにした内侍親子を差し出します。弥左衛門が怒り、権太を手にかけると、意外な真相が語られます・・・】

 意外な真相とは、改心の機会を狙っていた権太は、実は小金吾の首を維盛の首に仕立て、内侍親子は自分の女房と子供を身替わりにしていたことである。これは悪から善に改心する「もどり」という歌舞伎の演出である。さらに頼朝着用の陣羽織の中に数珠と袈裟が入っていたことから、初めから源氏が平維盛を助けることになっていた事実が明らかになる。

平維盛は富士川の戦いで水鳥の羽音に驚いて敗走した臆病者である。弥左衛門はその臆病者に忠節を尽くし錯誤を重ねて、わが子権太を手にかける。そして善に改心した権太は手負いの身となり、嘆きながら無駄死にしてしまう。いつの時代も底辺の人間だけが犠牲となってしまう、言いようもない不条理な話であった。

「お祭り」【日枝神社の山王祭とあって、鳶頭と芸者が賑やかに踊り始めます。一座の花形たちによる粋で華やかな清本の舞踊をご覧下さい。】

 舞台は山王祭り、三社祭り、神田祭りなど江戸の祭礼がメドレー形式で演じられた。いなせな鳶の頭(右近・獅童・海老蔵)と、晴れ着姿の江戸芸者(笑三郎・春猿・門之助)が揃った、眩しいほど粋で華やかな楽しい舞台である。

天才・海老蔵丈は「義経千本桜」では、「碇の知盛」、「狐の忠信」を既に演じており、今回初役の「いがみの権太」で三役すべてをつとめたことになる。

斬り結び血まみれの姿に艫綱を巻いて、担いだ碇を海に投げ入れ、引きずられ後ろ向きで没した知盛の勇姿は、私の心に強く刻まれた。初音の鼓の皮にされた親狐を慕い、忠信の姿に化けて、静御前に同道した子狐の悲哀は涙を誘った。そして「いがみの権太」である。いつか市川海老蔵丈が「義経千本桜」を通し上演されることを心待ちにしている。

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2008 歌舞伎座 十二月大歌舞伎 (昼の部) 高時 京鹿子娘道成寺 佐倉義民伝

2008 歌舞伎座 十二月大歌舞伎 (昼の部)高時 京鹿子娘道成寺 佐倉義民伝

 歌舞伎座十二月大歌舞伎(昼の部)は、新歌舞伎十八番である「高時(たかとき)」、「京鹿子娘道成寺(きょうかのこむすめどうじょうじ)」「佐倉義民伝(さくらぎみんでん)」などが上演された。

女方舞踊の大曲である「京鹿子娘道成寺」の白拍子花子を、十代目坂東三津五郎が印象鮮やかな舞踊で演じた。以下参考のために記した筋書きは、歌舞伎座「ほうおう」十二月号より【抜粋引用】したものである。

「京鹿子娘道成寺(きょうかのこむすめどうじょうじ)」【桜が満開の紀州道成寺。新しい鐘の供養をするため、大勢の所化が見張りをしています。そこへ花子(坂東三津五郎)と名乗る白拍子が訪れ、鐘を拝ませてほしいと頼み込みます。供養として白拍子の舞を舞うことになった花子は、烏帽子をつけて舞い始めます。やがて、花子の鐘を見上げる表情が一変し、鐘に飛び込んでしまいます。所化たちが必死に祈るなか、花子は恋の執念から蛇となって僧安珍を焼き殺した清姫の蛇体と化すのでした。】

満開の桜景色の舞台で、たっぷり一時間十五分、恋する女心を踊りぬいた三津五郎丈の熱演であった。まずは鳥屋から現れ出た白拍子花子は、花道七三の位置で立ちどまり舞台上手に向かい十分間ほど踊る。舞台下手の西桟敷に座した私は踊る後姿を間近で鑑賞することになる。それは頭の先から足の先にいたる、すみずみまでに心がいきとどいた芸の美しさである。

烏帽子を着けた花子は、手踊り、鞠唄に合わせて鞠をつく仕種、花笠の踊り、手拭いを使った「女心の恋と怨み」のクドキ、首に掛けた羯鼓を打ちながらの「山づくし」の踊り、鈴太鼓を手にした早間の踊りなど、じつに絢爛華麗に踊っていく。

途中から浮かれ誘われた二十名の所化(寺で修業中の僧侶)たちも踊りに加わった。その中に所化役のベテラン役者達に交じって踊る、ひときわ気品のある少年がいた。中村梅玉の部屋子、中村梅丸君十二歳である。その垢抜けた所作からはオーラが感じられ、将来は実力で大舞台へと駆け上がっていく逸材に思えた。

手拭いを使って女心を見せる恋と怨みのクドキは、娘から成熟した女性に変わっていく有様が見事に演じられている。あまりにすぐれた三津五郎丈の踊りの力量に舌を巻き、暫し見惚れて時が経つのを忘れてしまった。

「佐倉義民伝(さくらぎみんでん)」【下総国佐倉の領民は、凶作と領主堀田上野介の圧政に苦しんでいます。名主木内宗吾(松本幸四郎)は人々の苦しみを見かねて、堀田家の江戸屋敷に嘆願に赴きますが、埒があきません。将軍への直訴を決意した宗吾は、妻子に別れを告げるために帰郷。降りしきる雪の中、印旛沼の渡し小屋にたどりついた宗吾は、渡し守甚兵衛(市川段四郎)のお陰で船に乗って家に急ぎます。家に戻った宗吾は、妻おさん(中村福助)や子どもに別れを告げ、江戸に戻ります。将軍家綱(市川染五郎)参詣を待ち受けた宗吾は、警護の目をくぐり、願書を差し出します。死を覚悟して差し出された願書は、温情あふれる老中松平伊豆守(坂東彌十郎)が受け取るのでした。】

高名な農民劇、下総三百八十九ヵ村救済のため犠牲となった、佐倉に伝わる宗五郎伝説である。その筋書きと芝居は情感の度を越えたもので私の好むものではなかった。しかし設えられた舞台装置は実に卓越したものと感じた。幕が開くと夜の雪に埋もれた印旛沼渡し小屋の静寂な情景が広がった。降りしきる雪の中、花道から躓きながら登場した幸四郎(宗吾)が、喘ぐように「願いのために江戸に出て」と吐いた台詞はわびしく心に響いた。その後物語はだらだらと展開し、「子別れ」の場面など、あまり押し付けがましい内容と、こてこての芝居にうんざりとしたものを感じた。

桟敷からは一階の一等席を見渡すことができる。歌舞伎ファンのご婦人たちの上演に対する反応は辛辣なものがある。芝居がつまらなく気にいらないときは、多くの方が寝てしまうか途中退席してしまう。当日も二幕目「東叡山直訴の場」の幕間に、ご婦人たちが、ちらほらと帰られていった。高い金を払い歌舞伎座まで足を運ぶ観客は、まこと公正で手厳しい評価をくだすものだ。坂東三津五郎丈の舞踊が、ひときわ光った十二月昼の部である。

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(フレンチ)キュイジーヌ[S]ミッシェル・トロワグロ

「キュイジーヌ[S]ミッシェル・トロワグロ」☆☆☆☆☆

年の瀬は営業しているレストランも限られ、目当ての店の予約がなかなか取れない。連れの誕生日は、彼女が希望するフランス料理店で食事をするのが二人の決めごとになっている。昨年は『トゥールダルジャン』、一昨年は『シェ松尾 松濤レストラン』で誕生日を静かに祝った。

十二月三十日の夕刻、ターミナルの新宿駅からタクシーを拾い、ハイアットリージェンシー東京へと向かった。一年半ほど前に、このホテル一階にある中華料理店『翡翠宮』に伺ったことがある。その料理はレビューを憚ったほど塩垂れるものであったが、手入れの行き届かないショッピングアーケードと、草臥れたタイルカーペットに付いた漏水の滲は記憶に残っている。目指す「ミシュランガイド東京版」掲載レストランも同じ一階にあるという。

代り映えもしない通路を抜けて「キュイジーヌ[S]ミッシェル・トロワグロ」を訪問した。笑顔で迎えられた扉奥のエントランスからは、大硝子で仕切られた厨房を望むことができる。そこには十名ほどの若い調理人達が甲斐甲斐しく立ち働いておられたが、見渡したホール全体の第一印象はチープなものに感じられた。

連れと二人案内されたのは一番奥の壁際のテーブルである。席に着くとレストランの印象はがらりと変わった。天然木のテーブルと媚茶や狐色など茶系をベースにした配色は、紗をかけた淡い照明の光と相俟って静かに落ち着いた趣がある。高い天井に凛と架けられた太梁は福井の古民家から移築されたものだ。

まず私はシャンパン(二千二百円)を、連れはミモザ(千八百円)を貰って乾杯する。このレストランのディナーコースは一万四千七百円と一万八千九百円があり、あとはアラカルトとなる。本日は一万八千九百円のコースを予約しておいた。「ワインはグラスで」と伝えると、熟年のソムリエは「料理に合ったワインを選んでお出し致します」と丁重に応じた。そもそも味覚とは曖昧なものであるが、この受け答え一つで料理もワインも一段と美味しく感じられてしまうのだから、サービスとは斯くも重要なものである。(参考のためにグラスワインの価格を記しておく)本日供された料理はつぎのとおりだ。

「三種のアミューズ」

冷たいアミューズで食欲を刺激する「南瓜のヴルーテ」

「フォアグラのロワイヤルミロワール ジロル茸と柚子」歯応えが良い五片のジロール茸とフォアグラのムースを鴨出汁のコンソメで味わう。注がれた貴腐ワイン(シャトークーテ 千八百円)は料理との相性が極めてよい。

 「トリュフの舌平目 ポロ葱と洋梨」微塵切りにされた黒トリュフとポロ葱や洋梨が、舌平目が纏うクリームソースに潤沢に散らされている。辛口の白ワイン(プイィ・フュイッアン 二千百円)が供された。

 「ラングスティーヌのクロカン ヘーゼルナッツとローズマリー トランペット・ド・モール」ソテーされた赤座海老に黒いトランペット茸が添えられ、ヘーゼルナッツが散らされている。風味を引きだすため海老の焼き加減は半生である。白ワイン(ジョセフドゥルーインムルソー 二千五百円)

 「自家製豆腐のラヴィオリ 黒トリュフとフォンドヴォーのソース」

 「蝦夷鹿のノワゼット ルッコラバター セモリナのノック オレンジの香り」赤ワインが注がれる(アミラル・ドゥ・ベイシュヴェル 二千円)。

 「フロマージュ」運ばれた七種類のチーズから四種類をチョイスして貴腐ワインと楽しんだ。

 「マロンとカシスのキャレッス」「エスプレッソ ダブル」

現代フランス料理を標榜するこのレストランの料理は、甘みと酸味が生かされた味わい豊かなものである。生み出された斬新なインパクトさは、私の口には合って大変美味しく感じられた。ホールスタッフのサービスレベルは、客とほどよい距離を保ちながら、気配りができた心地よいものである。

あたたかみの感じられる空間は気分をリラックスさせ、非日常の感動のひとときを過ごすことができたと思う。酔うほどに気儘になって今日の主役が連れであることを少し忘れてしまったが、ここ三年間誕生日に祝宴を張ったフランス料理店の中では最上の店である。

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