(熱海界隈) 渚町 「わんたんや」
(熱海界隈) 渚町 「わんたんや」 ☆☆☆
一年ほど前の初夏のころに、姉と終の住みかを探して、いまだ慣れぬ熱海の土地を彷徨していた。初めて渚町に足を踏み入れたのは、事前に姉が調べておいた「スコット」という洋食屋の、ビーフシチューやタンシチューが目当てのためである。日曜日の昼時だというのに渚町は、哀しいほど人影がまばらで閑散としていた。そんな路地裏の一角に二十名ほど人だかりしている店があった。それは「スコット新館」の隣にある「わんたんや」というラーメン店である。
その後も渚町を訪れるたびに、件のラーメン店の軒先に行列する人々を見て、私はとても気にかかっていた。六月に昼の時間帯は避け、平日の午後三時過ぎに「わんたんや」を訪れてみると、狙いとおりに、先客は二組四名のみである。海辺の陽光で薄紅色に変色した暖簾を潜ると、七席のカウンター席と二卓のテーブル席だけの、小ぢんまりとした店内がひろがった。姉と甥、私の三名はテーブル席へと案内される。
「わんたんや」という店名は、店そのものの姿を表しているように思える。私と甥は、迷わずにワンタン麺と餃子、瓶ビールなどを注文した。チャーハンは、現在は作っていないとのことである。姉はメニューの中で一番高価な、冷やし中華ワンタン麺をオーダーする。
潮風で、すっかりと渇いてしまった喉をビールで潤していると、輪切りの葱が散らされた、棒切りチャーシューと沢庵漬けのお通しが、小皿で運ばれる。昼餉はとっくに過ぎた頃なのに、地元客や観光客などで、客足の途切れる気配はない。やがてワンタン麺と餃子が供された。
ワンタン麺は、丼ぶりに注がれたスープに、まずはワンタンを入れ、次に中華そばを加えたようで、淡い黒茶色のスープの中、細麺の下にワンタンが見え隠れしており、チャーシューやメンマ、葱などが添えられている。豚骨が基本となった醤油味のスープは、私には、まことコクがない薄味に感じられた。真っ直ぐな細麺とスープの相性は、懐かしい昭和の中華そばを髣髴とさせたが、その味わいは凡庸なるものと思えた。
「ワンタン」は広東語では「雲呑(フントゥン)」と書く。ワンタンを空にたなびく雲に見立て、それを丸呑みするという意味である。期待どおり「わんたんや」のワンタンは、大変に滑らかな薄皮で、その喉越しのよさは比類なきものに感じられた。薄皮に包まれた豚挽肉などの餡が少なめなのも、素朴に感じられたスープも、美味いワンタンを食べさせるために、周到に工夫されたものに思えた。
繊細なワンタンと対照をなすかのように、八角形の白皿に、四個ごろりと並べられた餃子は驚くほどの大きさである。自慢の皮にたっぷりと包まれた具はジューシーなものであった。その食べ応えは十分なものに感じられ、頬張って冷たいビールで流し込めば、至福の時である。
この店は並んでまでは、入りたい店とは思わないが、ワンタンについては、平凡さの中の非凡というものを感じた。食に関して、一家言もっている姉は、冷やし中華ワンタン麺を口にして「これは美味い」と呟いていた。そもそも人の味覚などは、非常に曖昧な世界であるが、私は「わんたんや」の、商売の繁盛が納得できたような気がした。
すっかり満足して表に出ると、熱海港に面した渚町は、相模湾を吹き過ぎる温かな潮の香りが満ち満ちて、今日も初島は霞んで見える。
(お店の詳細)
わんたんや
静岡県熱海市渚町10-14
TEL 0557-81-4089
金曜日定休
私達は三人で、「ワンタン麺」、「冷やし中華ワンタン麺」と「餃子」、瓶ビールなどを注文して、5,200円でした。
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