(うなぎ)鈴木

「鈴木」 ☆☆☆☆☆

 (2008年12月)
 すっかり予約の取りづらい店となり、思い立ってもおいそれとは伺えなくなった。いつものようにコース料理(六千五十円)に、うまき(八百五十円)、くりから(二百五十円)、骨のからあげ(三百二十円)などを追加する。逸品の鰻料理を肴に三千盛(六百五十円)を温燗とっくりで五本ほど頂いて、ほろ酔い機嫌となる。酔うほどに、ゆるゆると思いめぐらせて、これほど居心地が良い鰻屋は他にはあるまい。

 (以下は従前のレビューである)

 鰻が食べたくなった。思い立ったら我慢などできない卑しい性分である。お酒も切れないので、みつくろった肴でお神酒も少しは頂いてから、鰻重を掻っ込めたら幸せだ。土曜の午後、連れに鰻屋「コース料理」の予約をとってもらった。

 夕暮れ時、京王線は調布の駅で下り立って、愛想もない街並みを三分ほど歩いていくと、マンションの一階に「鈴木」と書かれた看板を見つけることができた。スタイリッシュなガラス張り仕様の店舗は、とてもモダンな設えに感じられる。室内は板場を囲む八席ほどのカウンター席と四人掛けのテーブル席が二卓あった。あらかじめコース料理を予約していた為か、連れと二人、黒のランチョンマットがセッテイングされた主人と真向かいのカウンター席へと案内される。

 浅黒く引き締まった体付きの御主人は、実直な職人気質の人に見受けられる。壮年寡黙な方であるが、常に店内を気配りされているのが感じ取れた。「わからない事があったら聞いて下さい。」という主人の一言で夕餉の時が始まった。配膳や調理補助は三名の女性スタッフが担当される。同時に入店されたテーブル席の三名の客もコース料理を注文されたようで、調理は五人同時の進行と相成った。

 よく冷えた生ビールで喉を潤していると、奥より突き出しの「鮪」の小鉢が運ばれる。板場の主人は、足元の樽よりヌルヌルとした活鰻を造作も無く掴み出す。大きく見開いた目で睨むように中鰻の頭にキリを打ち、次から次へと物の見事に背裂きして、内臓や骨などとりわけていく。

 やがて金串の一本に新鮮な肝を突き通して、目前の炭火で軽く焼き上げ、一片の「肝焼き」が供された。ふっくらと焼き上げられた鰻肝は、勿体ぶったわずかな量を押し頂くように口に含んで、火傷しそうな熱燗の「三千盛」で流し込む。私には、これより優れた酒の肴はないように思えた。

三品目は皮を剥いだ身の串焼き「白ばら」と箸休めの「大根おろし」が運ばれる。ひと続きの時間に熱燗徳利は一本ずつ空となっていく。生海胆が盛られた「茶碗蒸し」は柚子の香りがする。半切りにされた「焼き椎茸」は添えられた柚子を絞って食べる。これは芳ばしく瑞瑞しくて美味い。六品目「うなぎタタキ」は、白焼きを桂剥きした大根で、紫蘇の葉や飛子と巻いてある。さっぱりポン酢の逸品だ。

見渡した店内は満席の盛況となり、御主人は「裂き、串、焼き」と八面六臂の活躍である。串打ち素焼きした「かば焼き」を釜にて「蒸し」あげる。うちわを用いず「焼き」上げられる鰻からは、香ばしい香りが立ち昇る。

ご飯物は「白焼重」か「うな重」の選択となる。二人別々に注文し半分ずつシェアして賞味した。刻んだ分葱(わけぎ)がたっぷりと散らされた「白焼」は、あっさりとした風味であるが、引きだされた鰻の旨味は十二分に感じられた。さらっとしたタレ仕立ての「うな重」は滑らか柔らで、くどさもなく大変の美味に思えた。甘さ控えめの「日本酒のアイスクリーム」で締めとなる。

 コース料理の食事時間はおよそ二時間余りであったが、見惚れるばかりのご主人の職人技と供された逸品料理の数々に、お酒もすすんで非常に楽しい時間を過すことができた。料理は、鰻本来の旨味が際立ったもので、勘定の額を考えれば、私には最上の店とさえ思える。すっかりと満足して、連れの肩にぶつかりながら模糊とした頭で花冷えの街に出た。ここは美味さと心地良さだけが記憶に残こった。なんの不足もない鰻屋である。

ホームページの「東京食道楽記(極上の味を求めて)」では、男女二人が、それぞれの視点から、食べ歩きの原稿を書き上げております。興味のある方はご覧になってください。
http://www18.ocn.ne.jp/~gokujyou/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

(うなぎ割烹)一二三

 「一二三(ひふみ)」 ☆☆☆☆

 ターミナルの新宿駅から京王線に乗車して下高井戸駅で、東急世田谷線に乗り換えた。

うなぎ割烹「一二三(ひふみ)」のある松蔭神社前駅までは、およそ三十分の道程である。九月初旬の日曜日の夕暮れ、ターミナル駅の人出とはうらはらに、この街では駅周辺の殆どの商店はシャッターを閉じており、人の影もまばらで寂しく感じられる。

 石畳が敷かれた街道沿いを飛び越え五分ほども歩いていくと「一二三」に辿り着くことができる。まっすぐな脇道に、目隠しの黒板塀が鄙びた日本家屋と庭の緑をめぐっている。ここは夫婦二人で営まれている小さな店である。母屋玄関で声をかけると愛想のいい奥方が現れて、私と連れを飛び石で結んだ離れの座敷へと案内してくれた。

 二卓のテーブルがある四畳半と三畳ほどの二間続きの離れの部屋は、時代に置き去られたような鄙びた空気が漂って、窓から見える空を庭の枇杷の厚い葉が蓋いつくしている。ここは私のような年輩者は、寛いで夕餉を楽しむことができそうだ。

 予約の時にあらかじめ「白焼き」(二千九百円)と「うな重」(松二千九百円)、「肝焼き」、「肝吸い」などをお願いしてあった。実は「鰻尽くしのコース」(四千三百円)を予約しようと思ったのだが、コース料理は平日限定だということである。

 エビスビールで喉を湿らせていると、灘「剣菱」の常温徳利と共に、「香の物」と、重箱におさめられた「白焼き」が運ばれる。小鉢に盛られた「香の物」は、奈良漬と、胡瓜・人参・白菜・蕪などの浅漬けである。

鰻一匹半を使った「白焼き」を連れとシェアする。夏負け気味の連れは、半分は食べられないとのことで、その三分の二、一匹分を頂戴する。焼き色のこんがりついた白焼きは、驚くほどの身厚で、ふっくらと瑞瑞しいものだ。多少小骨が気にはなったが、大変美味に感じられた。山葵で味わう逸品に、御酒は瞬く間に空となり二本目の徳利が運ばれる。

続いて供された、焼き目の強い「肝焼き」(三百円)は、コリコリと弾力のある食感で野趣溢れる味わいである。その芳ばしさと苦味は、フルーティな辛口の熊本銘酒「美少年」と良く合った。

酒肴の途中に、「うな重」と「肝吸い」が運ばれてくる。配膳しながら奥方が「どうぞ、ごゆっくりとされていって下さい。」と話された。その外連味のない物腰は、客の心を左右するものだ。すっかり寛いで御酒もますます美味しく感じられた。

この店は、客の注文に応じて活き鰻を調理している。「活き鰻をまとめて割いて、冷蔵庫に保管しておけば楽なのでしょうが、お客様の来る時間に合わせて鰻を割いていると、一日中、割き場に立ちっぱなしになります。」との話も伺った。本日供された鰻は、愛知県一色町養鰻場のものである。

重箱の蓋をあけると、鰻一匹半、納まりきれないほどの熱々の蒲焼きが姿を現し、座敷に芳ばしい香りがゆきわたった。焼き色は濃く、身厚な蒲焼きは脂ものって、しなやかで瑞瑞しいものである。

思わず「お重」を手に持って、取り急ぎ「鰻と飯」を掻っ込み頬張ってから、冷酒「美少年」をグビリと呑んだ。それは舌を蕩かすほどの美味さに思える。そして「食べきれない」と言う連れから「うな重」の三分の一を貰い、都合三匹の鰻が私の胃の腑におさまって大満足の夕餉となった。大の好物とは言え、こんなに沢山の鰻を食べたのは初めてのことである。

心のこもった穏やかな接客と、風情ある店でいただいた鰻料理は格段なものに感じられた。次回はぜひ平日に訪れて「鰻尽くしのコース」を味わってみたいものである。

ホームページの「東京食道楽記(極上の味を求めて)」では、男女二人が、それぞれの視点から、食べ歩きの原稿を書き上げております。興味のある方はご覧になってください。
http://www18.ocn.ne.jp/~gokujyou/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

(うなぎ)安斎

「安斎」 ☆☆☆

 夏負けなどしないが、活力をつけて残暑を乗り切ろうと鰻店に出向いた。八月の下旬、まだ汗ばむほどの夏の夕刻、荻窪駅から「安斎」を目指す。予約が必要なこの店は、主人が客の到着時間に合わせ鰻を焼き上げるようで、時間を厳守することが肝心の様だ。

 上戸ゆえに、酒も呑まずに「うな丼」だけを掻っ込む夕餉などは、まっぴら御免である。

そんな場合は予約の時に「酒を嗜みたい」と申し添えなければならない。実に煩わしい話だと思うのだが、東京一と噂の「うな丼」にありつくためには、店の習わしに従わなければならない。

 予約時間の五時半丁度に訪れた「うなぎ安斎」の引き戸には、開店したばかりの筈なのに「売り切れ終了しました」との貼紙があった。ここは一階に厨房と二卓のテーブル席があり、二階の座敷は三卓のテーブルがある小ぢんまりとした店舗である。連れと一階のテーブル席に案内された。

先ずはエビスビールで喉を潤していると、酒の肴に「肝のぬた」や「生ハムと玉子焼き、香の物」、「肝入り玉子豆腐」などの小鉢が供された。酢味噌であえたふっくりとした鰻肝は驚くほどの美味である。堪らずに店の奥方に「清酒八海山」(小瓶300ml)をお願いした。     

それから五分ほどして、こんがりと焼き上げられた「白焼き」(三千円)も運ばれる。白焼きには鰻肝と山葵が添えられている。連れと仲良く半分ずつ横割りして賞味した。こんがりと芳ばしく焼き上げられた白焼きは、繊細で蕩けるような味わいの逸品で、日本酒とも良く合った。清酒小瓶は瞬く間に空になり「もう一本」と追加する。

御酒を一杯、二杯といただいていると、店に入ってまだ二十分も経過しないのに「うな丼」(三千円)が運ばれた。この店での酒肴の時間とは十五分にも満たないようで、気忙しい夕餉の時である。気が付けば他の客達は、早々に「うな丼」を召し上がっては帰っていかれるようで、ここはゆっくり酒など呑む処ではないようだ。残こり酒を急ぎ五臓六腑に流し込み「うな丼」に取り掛かった。

 ドンブリの中の「かば焼」は、心もち薄くて小振りであるように思える。焼き色は濃い目で、表面はカリッと中はふっくらジュシーに仕上げられている。タレは少し辛めに感じた。芳ばしい「かば焼き」は確かに美味しいのだが、私には絶品というほどには感じられない。ご飯も糠臭さが気になったのが誠に残念である。

余談となるが、ご主人の奥方に対する、相手を尊重せぬような物言いは如何なものかと思う。聞かされる客は不快となって折角の飯も不味くなる。

店は大繁盛のようで次々と予約客が来店していた。何回転されるかは知らぬが、急かされた印象が強く、私のようにゆるゆると寛ぎたい客には向かない店である。ご主人に馳走の礼を述べると、「失礼しました」と三回言われたのが印象的である。ただ一つ、絶品であった「白焼き」を二人前注文しなかったことだけが悔やまれる。

ホームページの「東京食道楽記(極上の味を求めて)」では、男女二人が、それぞれの視点から、食べ歩きの原稿を書き上げております。興味のある方はご覧になってください。
http://www18.ocn.ne.jp/~gokujyou/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

(うなぎ)重箱

「重箱」☆☆☆☆

赤坂に百五十年の歴史を有する鰻料理の老舗がある。「重箱」という料理屋である。初代は川魚の商いから、浅草は山谷の地で蒲焼料理を始められたのが、この店の発祥のようだ。

現在は東京一と評判の老舗も、浅草山谷で七十五年間営業された後、東京の店を閉めて都落ちして、昭和十年から二十一年間は熱海の地で店を営んでいたというから、必ずしも経営は順風満帆ではなかったようである。昭和三十一年に現在の赤坂の地に店を構えて、既に五十年余が経過した今は、商売は隆盛に赴いたようだ。

平日休みの昼餉時、赤坂駅で下車すると鉛色の空が崩れて小雨模様となった。ゆるゆると十分ほども歩いて愛想もない横道へと入ると、時代に置き去れたような高塀に囲まれた日本家屋にたどり着くことができる。杏子色の二階家の空を、辺りのビルが蔽い尽くして見えた。

格子戸を潜り苔生した石畳を踏み越えて、一階奥の八畳ほどの掘り炬燵式の和室に案内された。大窓からのぞむ中庭は両脇に千両などの木々が植えられ、中央に飛び石が連なり奥は丸太を積んだ段だらとなっている。ほどほどに手入れされた按配の庭が心を和ませてくれる。

 化粧室に寄った、渡り廊下の途中で女将から声を掛けられた。屈託のない笑顔が実に素敵な女性である。ビールの銘柄を指定して温燗も頼むと、「温燗ならば福小町が一番ですね。」と告げられる。その客あしらいの上品さと所作に見惚れながら部屋へと戻った。

 この店はコース料理のみで、昼コースは一万三千円、夜コースは一万七千円である。昼餉の訪問ではあったが、予約の時に特別に一万七千円のコースをお願いしておいた。

エビスビールで喉を潤していると、先付の「鮑塩釜」が供された。小鮑にワカメをのせ粗塩で包み込み焼き上げたものだ。周りの粗塩を砕き取り除くと、粗塩によって程好く締められ旨みの増した鮑が姿を現す。切り分けられた身と肝からは上品な磯の香りが口中に広がる。

「肝の山椒焼」は、串肝の周りを鰻のヒレ皮で巻き上げて焼かれている。肝焼きは、苦味を殆ど感じず、ふっくらとした焼き上がりは絶品だ。含んだ秋田銘酒の辛口「福小町」の温燗とよく合った。連れが梅酒をロックで注文すると琥珀に輝いた二十年物が供される。

仄かに山椒の香りが漂う赤味噌仕立ての「鯉コク」の椀は、濃厚な味わいであるが、吸い口はさっぱりとしている。嘗ては川魚を商った系譜から鯉料理も調理されるのであろう。

こんがりと焼色のついた「白焼き」は、皮は柔らかく身質はきめ細かくジュシーで、洗練された旨味の逸品だ。舌を蕩かすほどの味わいに、酒がすすんで温燗徳利を追加する。

重箱に収められた「蒲焼」、そして「ご飯、香の物」が供される。蒲焼も皮と身は柔らかく、さっぱりとした味わいのタレが鰻の風味を見事に引き立てている。一枚を固めに炊かれたご飯の上にのせ鰻丼風にして頂いた。美味い。本日供された鰻は静岡産とのことであった。締めのデザートは「小玉西瓜」である。

事前の確認を怠って「う巻き」や「うざく」を食べ損なったことが悔やまれる。それらはコースには含まれておらず追加の注文となる。甘い、辛いなどという味の好みは厨房にて調整してくれるとのことだ。江戸前の卵焼きは甘いものなのだが、最近は関西のだし巻き卵のような薄味の「う巻き」を好む客が多いという。

供された料理の味わいや、女将の接客態度などは誠に申し分ないものである。しかし本日のコース料理に対し、支払った勘定の額を考えると、やはりコストパフォーマンスは良くないように思えた。

やがて外は本降りの雨模様となった。女将が開けてくれた窓からは、雨音とともに庭から涼やかな風が吹き過ぎて気持ちが良い。その庭も最近は周りに建物ができて日照も悪くなり、咲く花も少なくなってしまったようである。

ホームページの「東京食道楽記(極上の味を求めて)」では、男女二人が、それぞれの視点から、食べ歩きの原稿を書き上げております。興味のある方はご覧になってください。
http://www18.ocn.ne.jp/~gokujyou/

| | コメント (1) | トラックバック (0)

(うなぎ)神田川本店

明神下「神田川 本店」 ☆☆☆☆

 花は桜である。今年の花見も例年と同様に昼餉の時を楽しんでから繰り出そうということになった。日ましに春めいてきた三月下旬、予約しておいた明神下「神田川 本店」を訪問した。御茶ノ水駅で下車し、肌を包むような穏やかな風を感じながら十分ほども歩いていくと、板塀で囲まれた日本風古屋に辿り着くことができる。

 昭和二十七年に建築され、既に五十年以上も経過している料亭造りの古屋は、どこかしみじみとした味わいを感じさせるものだ。引き戸を開けると上品な御爺さんが出迎えてくれる。予約の名前を告げると張りのある声で「お二人様、雪の間へ」と知らせ、若い仲居さんが八畳ほどの二階座敷に案内してくれる。長年使い込まれた座敷はお世辞にも綺麗とは言い難いが、趣があり私には心落ち着く雰囲気があった。

 仲居さんに「先ほどの御爺さんはどなたですか。」と尋ねたら、「先代の主人(十代目)が下足番を致しております。」と教えてくれた。この店は1805年(文化二年)に創業され、既に二百年以上の歴史を有し、現在のご主人が十一代目という老舗の鰻屋である。

 この店にはコース料理はないので、全てアラカルトの注文となる。日頃、行きつけの街場の鰻屋で注文する様に、「白焼き」(二千七百円)、「うざく」(千円)、「う巻き」(千六百円)の一人前ずつを連れとシェアして、一杯やることにした。そして一人一本だという「きも焼き」(八百円)は二本を頼む。最後の締めには「うな重 大」(三千八百円)と「赤だし」もお願いした。本日は、愛知県三河産の鰻を使用されているとの事だ。

 ビールで喉を潤していると「突き出し」が供された。皿に一枝の桜花が添えられた突き出しは「菜の花のお浸し、蛍烏賊の酒盗、エシャロット、つぶ貝」などである。堪らずに日本酒は「菊正宗」(七百円)の温燗を頼んだ。

この店の「白焼き」は火力が強過ぎるためか、ふっくらとした食感ではない。口中に幾らかの固めの皮が残ったのは気にはかかったが、芳ばしさが広がり、その味わいは燗酒と良く合った。

 三杯酢であえた、蒲焼の細切りと、たっぷりの塩もみされた細切り胡瓜の「うざく」が運ばれる。この店の辛口の蒲焼と、甘味を強くした合わせ酢との相性は絶妙で、大変美味しく感じられた逸品である。

 「きも焼き」は串肝の周りを鰻のヒレ皮で巻き上げて焼かれている。外側のヒレ皮は焦げて苦味を強く感じるが、内側の肝はふっくらとした焼き上がりとなっている。旨い、酒がすすみ温燗徳利はどんどんと空になっていく。

 蒲焼を芯にして巻いた卵焼き「う巻き」は、焼色の黄金色から上質なものだと窺える。その味付けはかなり甘めであるが、私の口には大層に合って美味い。ご主人に「かなり甘味が強いですね。」と言ったら「江戸の卵焼きは甘いですから。」と話されていた。

 「うな重」の蒲焼は辛目の秘伝タレにつけられて、ふっくらと焼かれている。辛口ゆえに鰻本来の旨みが際立っているように、私には感じられた。甘口のタレで誤魔化すことのない味わいは、神田川創業者の自信の名残であろうか。

 伝統の味を承継してきたこの料理店では、初代、三河屋茂兵衛が完成させた「神田川」蒲焼の味を二百年に亘り守り通している。壷に入った秘伝のタレが、それを表象している。壷のタレには二百年前の痕跡など微塵も残ってはいない。しかしその壷の中には、相伝され二百年間も変えることなく守り続けてきた伝統の製法と、それを実践してきた先人の魂とが入っているような気がした。

 高齢となり厨房に立てなくなった先代が下足番となり店を守っていく姿勢に、老舗料理店「神田川本店」の精神と凄みとを感じられずにはいられない。

 途中、賑やかであった隣室の男性客が帰られると、座敷には静寂が戻ってきた。春の木漏れ日が映る雪見障子をぼんやりと眺めながら、ゆるりと酒を酌み交わしていたら、大東京の真ん中にいることなどすっかりと忘れてしまった。

ホームページの「東京食道楽記(極上の味を求めて)」では、男女二人が、それぞれの視点から、食べ歩きの原稿を書き上げております。興味のある方はご覧になってください。
http://www18.ocn.ne.jp/~gokujyou/

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

(鰻会席料理)竹葉亭木挽町本店

「竹葉亭木挽町本店」 ☆☆

夜のとばりの下りた銀座八丁目辺りでタクシーを降り、木挽町の料亭街を歩いていくと高塀に囲まれた「竹葉亭木挽町本店」がある。ここらの料亭は客の出迎えが慣例となっているようで、通り掛けにちらと見た『吉兆 東京本店』では、一人の仲居が玄関に立っており、微動だにしないその姿形は凛と美しいものに感じられた。訪れた「竹葉亭本店」でも二人の仲居が玄関で待っていたが、寒さのためか両手を擦り合わせ体を揺らしていた姿は誠にいただけない。私達を出迎え、やれやれという感じで戻っていく後姿からは、すっかり形骸化してしまった持て成しを感じた。

路地の飛び石を歩んで銀座の暗みに呑まれた、奥の八畳ほどの茶室仕立ての部屋に案内された。ここで供される料理は高足膳の上に並べられる。そして大正十三年に建てられ既に八十年以上も使い込まれた座敷からは、風雅な趣さえ感じられる。座敷を利用する夜の会席料理は、一万二千円と一万四千円のコースがあり当日は一万四千円の料理を注文してみた。江戸時代に創業された老舗鰻屋の会席料理とは、どのようなものか楽しみである。

ビールで喉を潤していると、ねずみ色の志野皿に盛られた「先付」が供される。蛍烏賊の酢味噌掛け、鱚の一夜干し、菜の花の辛子あえの三品に一枝の桜花が添えられていた。一葉の菊が敷かれた「刺身」は、鮪、真鯛、鮃の三種類であり、いずれも質は高いものに思われた。堪らずに「温燗」を頼んだ。この店の日本酒は愛媛の「山丹正宗」と兵庫の「白鷹」をブレンドしたもので珍しい。

蛤しん薯の「椀」は湯葉、しんとり菜、大根、人参、香りつけに花柚の一輪がのせられる。この椀は鰹出汁の余韻が残って旨い。山葵醤油と共に供された「白焼き」は、ふっくらと焼かれており、さっぱりとした味わいで美味しく感じられた。含んだ燗酒との相性も良い。

「酢の物」は、車海老、真鯛、蓮根、胡瓜、菊花、若布など。「煮物」は、蕨、人参、里芋、生麩、サヤエンドウ。

二串の「蒲焼き」と、御飯、赤出汁、漬物などが出される。一串はそのまま味わい、残りを御飯にのせて鰻丼とした。備長炭で焼き上げられた身は焼きむらが感じられ、ふっくらした部分と焼きすぎて固くなった部分とがあった。その味は極めて凡庸であり、行き付けの町場の鰻屋との差異すら感じることが出来ない。「水菓子」はメロンが供される。追加した「抹茶」には桜餅がついた。

この店の料理全体の印象は、料亭として支払った勘定の額を考えると、凡庸すぎて存在感すらないようにも思えた。そしてこの店には、料理以前の問題として、客室係りの質の悪さがある。担当した熟年仲居は、配膳時に退出する時、襖を後ろ向きのままで勢いよくバタンバタンと閉める。出入りの度に繰り返されて私は大変気に障った。接客の態度もあまり感じの良いものではない。そして私達が最後の客となると、急かせるような仕草さえ見せた。夕餉が終わってみると慌ただしい印象が残った。店での滞在時間は一時間二十分である。

老朽化した建物ゆえに、吹き込んでくる隙間風の寒さも平気だ。隣室の客達の嬌声や、通りを走り抜ける車の騒音も気にはならない。しかし風情を台無しにした仲居の所作には我慢はできぬ。

ホームページの「東京食道楽記(極上の味を求めて)」では、男女二人が、それぞれの視点から、食べ歩きの原稿を書き上げております。興味のある方はご覧になってください。
http://www18.ocn.ne.jp/~gokujyou/

| | コメント (0) | トラックバック (0)