(すきやき)よしはし

「すきやき よしはし」☆☆☆

 團菊祭五月大歌舞伎、歌舞伎座の花道より現れ出た喜撰法師・十代目三津五郎は、瓢箪のついた桜の枝を手に、お家の芸である「喜撰(きせん)」をユーモラスに踊ってみせた。その先々代にあたる、坂東流八代目三津五郎の元邸宅を利用した、高名なすきやき屋が赤坂にあるという。

赤坂見附駅から五月雨が降る黄昏の街を連れと二人「すきやき よしはし」を目指した。あの茶懐石料理『辻留』の近くに目当ての店はある。鈍色に靄った路地奥に、練色をした大きな日本古屋が見えた。格子戸を引き中に入ると、ここは『ロアジス』というバーも併設されている。白木造りの廊下や階段を越えて、二階の「若狭」という掘り炬燵式の和室に案内される。愛想もない四畳半ほどの部屋であるが足が伸ばせるのは有り難い。

この店の牛肉料理は、すきやき、しゃぶしゃぶ、ステーキなどがある。大の好物「すきやき」のコース料理は、一万二千円、一万四千円、一万七千円があり、当日は一万七千円のコースを注文しておいた。予約時に個室を希望すると四人未満は室料がかかると伝えられた。この部屋を担当されるのは熟年のベテラン仲居である。連れは梅酒(千円)をロックで、私はエビスビール(八百円)を頼んで喉を潤した。本日供された料理は次のとおりだ。

・先付け「生海胆と生湯葉」

・前菜三品「鱚の風干し、姫筍、蚕豆」

・吸い物「フッコ(鱸)と素麺」

・造り「鮪、鮎並、白海老」

「先付け」から「造り」までは、実に平凡な味わいの料理に感じられた。酒は高知の「司牡丹」(七百円)と、埼玉の「神亀」(千円)を熱燗にて嗜んだ。「神亀」は肴がいらぬほど美味過ぎる酒で、料理には「司牡丹」の方が合う。

やがて仲居が「すきやき」の準備に取りかかった。「すき焼き」は、深鍋に割り下を用いて牛肉を煮る関東風と、牛脂をひいた浅鍋で牛肉を焼き砂糖や醤油などで味付けする関西風、そして浅鍋を用い少しの割り下で牛肉を焼くように煮る「中間の調理法」の三種類がある。ここ「よしはし」のすき焼きは、「中間の調理法」をとられていた。

大皿に盛られた六枚の牛肉(二人分)と、長葱、春菊、焼き豆腐、白滝、玉葱、椎茸などのザクが運ばれる。霜降りの肉には「5Aランク 牛産地 茨城県」の紙片が付けられていた。仲居は素早く器に入れた玉子の白身だけを泡立て始める。このような事は初めてなので「なぜ泡立てるのか」と尋ねると、剣呑に「白身はお嫌いですか」と言われる。重ねて尋ねると、どうやら仲居も知らないようで「先代の女将が考案されました」とはぐらかした。

鉄鍋は珍しい長角の浅鍋である。鉄鍋に割り下を少し注いで煮え立たせてから、六十グラムもある厚切りの牛肉を入れた。さっと焼くように煮て泡立てた玉子の器で供してくれる。醤油、酒、味醂で作られたと思う店の「割り下」は辛めに感じられた。崩した黄身と泡立てた卵白と絡めて賞味した牛肉の味は、私には期待はずれのものである。そして椎茸、長葱、焼き豆腐など皿に盛られた具を、肉の旨みが溶け出した割り下で焼いて賞味する。時折、鉄鍋の「割り下」に「牛スープ」を加えながら調味されていた。

健啖家のはずなのだが、連れも私も二枚目の牛肉で食べ飽きてしまった。残りの肉二枚は牛弁当(タッパー代二個千円)にして持ち帰ることにする。白滝は最後に割り下の水分が抜けるまで炒めつけ、一味を添えて供されたが美味くない。御飯、味噌汁、香の物とデザート(パパイヤ、西瓜、ブルーベリー)で締めとなった。

料理全体の印象は、牛肉はそれなりに上等なものに感じたが、辛めの「割り下」は私の口には合わず、「泡立てた玉子」は卵白を泡立てる理由がわからなかった。「溶き玉子」を絡める方が遥かに美味しいのではないかと思われた。仲居のサービスレベルは、取柄もないかわりに過誤もないものであった。会計を済ませると、驚いたことに個室利用料は時間制で、一時間が五千円で、二時間で一万円が計上されている。時間制の個室料は、私は初めての経験であった。サービス料も別途十五パーセントが計算されていた。

味覚はそもそも曖昧な世界であろうが、私が美味しいと思う東京の「すき焼き」を付記しておきたい。「関西風すき焼き」では、銀座七丁目にある『岡半 本店』が一番である。「関東風すき焼き」は、牛鍋の伝統を承継し百二十六年の歴史を有する浅草の『ちんや』がお薦めだ。浅鍋を用い少しの割り下で牛肉を焼くように煮る「中間の調理法」ならば、明治二十八年開業、日本橋『人形町今半 本店』の右に出る者はいない。

ホームページの「東京食道楽記(極上の味を求めて)」では、男女二人が、それぞれの視点から、食べ歩きの原稿を書き上げております。興味のある方はご覧になってください。
http://www18.ocn.ne.jp/~gokujyou/

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(すき焼)今半 別館

「今半 別館」 ☆☆☆☆

三月の下旬、早春に咲く大島桜は今が盛りで、染井吉野の花は五分咲きとなった。吹き抜ける風に春の匂いを感じながら、お台場海浜公園から水上バスで浅草を目指した。浜離宮恩賜庭園を越えて東京湾から隅田川を上ると、浅草までは十二もの橋が架かっている。船上からの隅田公園は白い桜の花が遠く霞み連なって見える。くり出した隅田公園で花見に興じ、少し早めの夕餉に雷門の辺りに向かった。

 浅草といえば「すき焼き」が浮かんだ。明治維新の頃、浅草を中心に牛鍋がブームとなり、当時の東京には五百軒もの牛鍋屋が繁盛したという。雷門通りには、私の好きな老舗の『ちんや』もあるのだが、本日は浅草寺門前に店を構える「今半 別館」を訪れてみた。「別館」といっても「本館」があるわけではない。大正十年に今半本店より暖簾分けされた時に、本家筋に遠慮して「今半 別館」と名乗った奥床しい名残である。

 仲見世の喧騒を逃れるように一筋入ると、謀れたように静まり返った古風な日本家屋がある。緑のめぐった石灯篭を眺めながら、打ち水された敷石を飛び越えて暖簾を潜った。予約はなくとも客あしらいは上等なようで、連れと二人「初音の間」という小ぢんまりとした二階座敷に案内される。ここは、欄間、襖、障子などが鼓(つづみ)模様で統一されている。有形文化財にも登録されている料理屋は、時代に置き去られたような、しっとりと落ち着いたものに感じられた。花見で乾いた喉を生ビール(七百円)で潤しながら、「あさくさ」(一万二千円)という「すき焼きコース」を注文する。部屋の係は帯飾りの根付が揺れる、饒舌な大年増の仲居だ。     

前菜は青磁の長角皿に、ソメイヨシノの花小枝を添えた桜蒸し、蛍烏賊の木の芽酢味噌、しん薯菱餅などが供された。御酒は秋田の銘酒、大吟醸「福小町」(千八百円)である。春鯛の刺身はタイの旨味が強く感じられる上質なものだ。情緒のある座敷で味わう酒と肴は格段のものがある。鶏肉の小鉢や茶碗蒸しなどが運ばれると、仲居が「すき焼き」の準備に取り掛かった。

「今半」のすき焼きは「牛肉を割り下で焼くように煮る」ものだと思っていたが、ここ「今半 別館」は違っている。この店は浅草『ちんや』や本郷湯島『江知勝』のように牛鍋のスタイルを継承した関東風のすき焼きである。厚手の鉄鍋に割り下を満たし、ひと煮立ちしたところに、大皿に盛られた和牛の霜降り肉と、長葱、白滝、焼き豆腐、春菊、エノキダケ、麩など次々と鍋に入れる。一通りの準備を済ませると、作り笑顔を向けた仲居は退出していく。

待ちきれず、グッグッと煮立ち始めた鍋から霜降り肉を摘み、溶き卵に絡めて賞味すると肉の旨味が口中に広がった。醤油、味醂、砂糖で作られた「割り下」が私には少し辛めに感じられたのは残念である。たっぷりと肉の旨味がついた割り下で煮こんだ長葱や豆腐などのザクも味わった。玉子も追加して御飯や香の物も貰う。すき焼きをオカズに御飯を頬張ると、大御馳走であった子供の頃を思い出す。満足のうちに苺のデザートで締めとなる。『浅草今半 国際通り本店』や『人形町今半 本店』など、「今半」と名のつく三店の中では、浅草寺門前という立地とも相俟って「今半 別館」が最も風情ある店と思えた。

帰り道、連れに誘われるまま仲見世通りを跨ぎ、百五十年の老舗『梅園 本店』に名物「粟ぜんざい」を食べに寄る。蒸し上げ半づきにされたモチキビに、たっぷりの漉し餡が掛けられた熱々の椀を二人で掻っ込んだ。火照った頬に風を感じて目を留めると、仲見世の吊提灯の向こうには、枝先から桜の花が咲き始めている。

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(すき焼)人形町今半

日本橋「人形町今半」 ☆☆☆☆

師走の頃になると、すき焼きが恋しくなる。すき焼きは割り下を用いて牛肉を煮る関東風と、脂をひいた鍋で牛肉を焼き、砂糖や醤油などで味付けをしていく関西風とがある。巷で東京一と評判の店は、関東風は日本橋「人形町今半」、関西風は銀座『岡半本店』だと言われているようだが、「今半流」と称し、割り下で牛肉を焼くように煮ていく中間の調理法をとる「今半」は正確には関東風とは呼ばない。牛鍋の伝統を継承した浅草『ちんや』や本郷湯島『江知勝』などの鍋を関東風すき焼きという。

十二月下旬の土曜日、東京メトロ日比谷線の人形町駅で下車し「人形町今半」を目指した。一週間程前に河豚料理店『吉星』を訪れた時に、途中に今半の建物を見掛けていたので本日はスムーズに辿り着くことが出来た。

この料理店は今の時期はなかなか予約が取れず、午後四時半という早めの夕餉の時間に暖簾を潜った。門松が飾られた奥の格子戸を引くと、たちまち数名のベテラン仲居が現れ出て私達を二階の個室(部屋料二千円)へと案内してくれた。通りに面した個室は掘り炬燵式の六畳ほどの瀟洒な和室である。床の間には山茶花の掛け軸と、縁起物の千両が描かれた大皿が飾られている。

 この店の「すき焼コース」は一万円、一万二千円、一万五千円、二万円など四コースがある。当日は、極上牛料理と四菜が供される二万円の「宴」というコースを予約しておいた。

割り下で牛肉や野菜を焼くように煮る「今半流すき焼」は、焼き手の仲居が全てを取り仕切ってくれる。先ずは、エビス生ビール(六百円)で喉を潤した。この店は生ビールの管理が行届いているのか、運ばれた生ビールは驚くほどの美味であった。日本酒は、今半オリジナルと記された福島県銘酒「壷中有天(こちゅうてんあり)」(一合千四百円)を温燗にて貰う。

本日供された料理はつぎのとおりだ。

「先付け」は、黒漆器の箱に四個の小鉢に盛られた、チーズとスモークサーモン、甘海老と鱈子、鮟肝と山芋、菊花蕪、豆の白和え、鴨のスモーク肉などが供された。板場の実力を垣間見たような逸品の先付けである。

鮪、烏賊、鮃、甘海老、海胆などの「造り」は、どれも上質なものに感じられ美味い。

「湯葉と穴子のかぶら蒸し」や「松前漬け」などの小鉢を肴に温燗をポツポツと含んでいると、こぎれいな仲居さんがすき焼の準備に取り掛かった。店拘りのやや浅めの鉄鍋に、ほんの少しの割り下をひいて十分に煮え立たせてから、美しくサシの入った牛肉を入れた。

さっと焼くように煮て、溶き卵の入った器で供してくれる。蕩けるような霜降り肉の旨みが口中に広がって、唸るほどに美味い。そして椎茸、長葱、白滝、筍、人参、春菊、丁字麩など大皿に盛られた具を、濃密な肉の旨みが溶け出した割り下で焼いて頂戴する。醤油、味醂、砂糖で作られた少し甘めの「今半の割り下」は、私の口には大変合うものである。極上牛の替り肉(八千円)を追加し、ご飯も掻っ込んで、デザートのメロンで締めとなる。

 店は夕刻から満席の盛況となった。襖障子の向こうから、次々と客が押し寄せる様が窺える。十二分に満足した幸せな夕餉の時に、連れと私は心も体もほっこりと温かくなった。

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(すき焼)江知勝

「江知勝」 ☆☆

 仕事終わりの帰路、御茶ノ水駅からタクシーを拾った。高名な湯島神社、天満宮前を走り抜け目指す「江知勝」には五分ほどで到着できる。暗みに呑まれた大通りに「すきやき江知勝」の明かりがともっている。

 引き戸を開けると奥の古風な様式な家屋に向かって、しっとりとした庭木の緑が石畳を蓋いつくしている。この店は明治四年に牛鍋屋として創業され、既に百三十五年も営業されている老舗だ。広い玄関で仲居から出迎えを受ける。昭和二十七年に建築され、本郷は湯島の地で五十五年の時を刻んだ日本家屋からは、歴史の重みが伝わってくる。

 店は二名から八十名まで利用できる大小十七部屋の個室が用意されている。尋ねると二名用の個室は二部屋だけとの事で、予約が取りづらかった事も頷けた。連れと案内された二名用の掘り炬燵式の個室は、新緑の暗みに灯りをともした石灯籠など、中庭の池を眺めることができる。ここは池に落ちる小滝の水音の響きが、一層情緒を増している。小柄な部屋係りの仲居は、客あしらいがとても上品で、その手慣れた仕草は実に気持ちがよい。

この店の、すき焼コースは七千円、八千円、九千円、一万円、一万千円などがあり、当日は一万千円のコースを注文してみた。他に、しゃぶしゃぶのコースもある。先ずは生ビール(エビス)で喉を潤した。すき焼コースは、何品かの前菜、すき焼、御飯、デザートのコース立てとなる。

前菜は「菜の花とサーモンの白和え」、「マグロ、カンパチ、炙ったホタテなどの造り」、「蚕豆豆腐」、「牛肉の時雨煮」など四品が供された。前菜をつまみながら、店指定の銘柄酒「黒松白鹿」を温燗にて、ぽつぽつと飲んでいると、くだんの仲居さんが「すき焼」の準備に取りかかった。

 牛鍋屋を発祥とする当店のすき焼は、鉄鍋に割下を入れ、牛肉や具を煮込む関東風すき焼きである。この店では鉄鍋に割下を入れ煮立ってから、豆腐、長葱、白滝などの具を入れる。水を加え黒毛和牛の肉を一枚ずつ鍋に入れ、先ずは熱々の牛肉を、とき卵に絡めて味わう。仲居さんは、すき焼の準備を一通り済ませると退出されていった。

 然しながら、その味わいは実に期待はずれの凡庸なものである。醤油、酒、味醂を用いて作られる、この店のシンプルな割下は随分と辛口の味付けに感じられた。その味は私の嗜好に合わないものだ。甘くしつこい味の割下も問題だが、それにしても酷過ぎると思えた。とき卵を余分に絡まして味を誤魔化そうともしたが、牛肉の風味や旨みまで失われたような気がする。

割下に砂糖を加えれば、少しはマシになるだろうと、連れに砂糖を貰ってくれるように頼んだ。すると連れは、「それはこの店を侮辱することになる」と私をいさめた。仕方なくそのまま食べ続けることにする。水で薄めても駄目、この割下の鹹(から)さが牛肉を不味くさせ、含んだ日本酒までもが苦く感じられた。

店は接待客や宴会客で連日盛況のようであるが、古き日本や風雅などを謳いながら、このような凡庸以下な「すき焼」を提供されているのは、いかがなものか。長い時が構築してきた、この店の情緒は素晴らしいものがある。仲居の教育も行き届いていた。それだけに残念で、私の気持ちは重くなり機嫌も悪くなった。早々に締めの御飯とデザートを掻っ込んで退散した。

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(すき焼き)岡半本店

「岡半本店」 ☆☆☆☆☆

師走の頃になると「すき焼き」が食べたくなる。十二月の初旬に何軒かの料理店に連絡をしてみたが、流石に年内はどこも一杯のようだ。やっと十二月の下旬に予約を取ることができた。暮れも押し迫ってきた晩、銀座七丁目にある「岡半本店」を訪問してみる。

「すき焼き」は、浅草『ちんや』のように、割り下を用いて牛肉を煮る「関東風」と、脂をひいた鍋で牛肉を焼き、砂糖や醤油で味付けしていく「関西風」がある。そして割り下で焼くように煮ていく「中間の調理法」をとる浅草『今半』などがある。

ここ「岡半本店」は関西風すき焼きでは、東京一と評判の店である。金田中の姉妹店のこの店は、ホテルニューオオタニ東京にも支店があり、以前そちらでは食事をしたこともあった。「すき焼き」を予約してあったので個室のある七階でエレベターを降りる。ホールを抜けると店の玄関があったが、店は大変忙しい様子で案内までに時間がかかった。部屋は、小ぢんまりとした二人用の瀟洒な個室である。

この店では「すき焼き」を「寿喜焼」と記す。「寿喜焼」(料理のみ)は、松坂牛肉の一万二千円、特選松坂牛肉の一万六千円、そして最優秀賞松坂牛の一万九千円、二万四千円など四つのランクがある。当日は仲居さんと相談して、店の売れ筋だという、一万二千円の肉料理を基本とした「寿喜焼コース」一万六千円(税別)を注文してみた。コース料理は、お通し、朱盃盛五種の前菜、松坂牛肉のすき焼き、飯か麺のコース立てとなる。それに席料が一人三千円加算されるようだ。コースにはデザートがついていないので、「峰岡豆腐」八百円も追加した。

瓶ビールで喉を潤していると、青磁の小皿に盛られた、お通しの「胡麻酢和え」が供された。その具は、水母、胡瓜、椎茸などである。日本酒は、燗酒は「大関」、冷酒は「久保田」と「八海山」などが揃えてあり、熱燗で「大関」を貰った。

朱盃と小鉢に盛られた五種の前菜は、「冷トマト」、「汲み上げ豆腐」、「自家製 唐墨」、「鮪のづけ」、「細魚の酢の物」など。「お通し」や「前菜」は極めて凡庸な味わいの品であった。

また一人目の仲居さんが、配膳する料理内容について殆ど理解してない事には驚いた。

 店は大変に忙しいようで「すき焼き」の準備に取り掛かることが出来ない。かなり時間が経って待ち草臥れた頃、二人目の熟年の仲居さんがやってきた。そして「お待たせしてすみません。牛が捕まりません。」などと、つまらぬことを繰り返し話しながら用意を始めたので、私は返す言葉も見つからない。尋ねると一人の仲居で五人分の客の「すき焼き」を作れるそうだが、それでもこの時期は、忙しくて間に合わないとの事だ。

 暫く待たされて、三人目は貫禄のある仲居さんが登場する。鍋の準備に取り掛かかると、部屋に老女将が挨拶に来られた。老女将からは「担当の仲居は、店で二番手の寿喜焼の焼き手です。一番は私(老女将)で御座います。」との説明があった。誠にユニークな料理店である。

 このコースで供される牛肉は、サーロイン、肩ロース、リブロースなど三種類の部位の味を楽しむことが出来る。鍋の具は、安平麩、白滝、三つ葉、焼き豆腐、椎茸、蒟蒻、長葱など多彩である。「焼き手」の仲居さんが鍋の牛肉にグラニュー糖をかけ、醤油と昆布だしを加えて一枚ずつ焼いていく。香ばしさが漂う中、溶き卵の入った椀に霜降り肉と長葱を盛ってくれた。含むと口中に松坂肉の旨味が広がり、この店の寿喜焼は言葉にならぬ程の美味さだ。二の椀では肉と豆腐を合わせた。三の椀では肉と椎茸、四の椀では肉と安平麩、五の椀では肉と白滝、そして締めの椀は三つ葉であった。堪らず途中で白飯を貰い「すき焼き」をのせて食べる。子供の頃、あの美味さの記憶が蘇ってきた。松坂牛肉も一人前(一万二千円)を追加する。

「岡半本店」二番手、キャリア九年の「焼き手」である仲居さんが供してくれた関西風「すき焼き」は、今までで一番美味しいと感じられた逸品であった。最後のデザートは『金田中』の十八番の「峰岡豆腐」で締めくくる。

 今晩は大変に忙しいようで、料理を提供する間も空きすぎて店のサービスは、もう一つであったと感じた。先付けや前菜は凡庸な料理であった。しかし「寿喜焼」は感動するほどに美味く、正に極上の味であったと思う。「上等の牛肉」を「上手な焼き手」が料理すると「最高の寿喜焼」が出来上るのに違いない。

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(すき焼)ちんや

すき焼「ちんや」 ☆☆☆☆

子供の頃の御馳走といえば「すき焼き」である。年に数えるほどの献立であったが、「一番美味しい食べ物」として心の中にしっかりと残っている。

母親が作ってくれた「すき焼き」は、鍋に割り下を入れ、牛肉や具を煮込んだ東京風といわれるものである。

当時、借財などに追われていた父は家に殆どおらず、母が小商いをして姉と私を養ってくれていた。その為か肉の量は十分とはいえず野菜などの具が多かったように思う。鍋を前に遠慮して、ためらっていると、母は溶き卵の入った椀に、たっぷりの肉と野菜などを取り分けてくれたものだ。熱々の具を少しずつ口に運びながら、頬張った白飯の旨さは、今も忘れることはない。すき焼きの時だけは三杯も四杯も御飯のお代わりをした。だから、この歳になっても時々無性に、すき焼きが食べたくなる。

この間、訪れた『浅草今半本店』は「肉を焼くように煮る」手法で、あの頃の鍋とは大分感じが違っていた。東京風のすき焼きを堪能してみたくて、浅草は雷門の並びにある牛鍋屋の「ちんや」を訪問してみた。この店は明治十三年に料理屋に転業し、すでに百二十六年の歴史を有する老舗である。

「ちんや」の小冊子によれば、明治維新の時「牛肉を喰わねば開化不進奴(ひらけぬやつ)」と浅草を中心として牛鍋屋がブームとなり、明治十年には東京に四百八十八軒の牛鍋屋があったというから驚きだ。そして、店に入ると今は珍しい下足番の方までおり、予約してあった四階の個室に案内された。そこは掘りごたつの瀟洒な和室であり、足が下ろせるのは有り難い。また部屋には開化絵(文明開化の文物を描いた浮世絵版画)が掛けられ、明治の浪漫を感ずることができる。

ここの「すき焼」は、「お肉、ざく、玉子」のセットで値段は、七千五百円(特上肉)、四千八百円(上肉)、二千五百円(お肉)の三段階となる。当日は七千五百円の「すき焼」と、「御飯、お新香、みそわん、フルーツ」の四点セット千五百円を注文した。ビールはエビスビール、お酒は菊正宗の純米酒を頼んだ。

部屋係りの仲居さんが実に手際よく、すき焼きの準備に取り掛かり、一通り済ませると退室していった。鍋の中には割り下が満たされ、長葱、春菊、焼き豆腐、白滝、椎茸、麩などのザクと牛肉が入れられて、グッグッと煮立ち始める。子供の頃の記憶の美味しさが心に伝わってくる。

熱々の牛肉を、溶き卵に絡めて味わう。「旨い」。ビールや日本酒などは、そこそこに早めに御飯を貰った。すき焼きを味わいながら御飯を頬張ってみる。少なくなった溶き卵は白飯に掛けて掻き込む。特上肉と上肉の二人前、玉子を追加する。すぐに御櫃は空となり御飯も追加した。連れと二人でひたすら「ちんや」の牛鍋を食べ尽す。御飯は茶碗で五杯ほども平らげてしまった。

この店のすき焼は、濃い目に作られた割り下と牛肉の味が調和し、大変に美味しいと感じた。すっかり満足して部屋を出る。エレベターを待っているとベテランの仲居さんが「御飯のお代わりまでされたそうで、ありがとうございます。」と妙に嬉しそうに挨拶をされた。御櫃のお代わりをする客など珍しいのだろうから、仕方あるまい。

すっかりと暗くなった夕刻、人通りも疎らな浅草寺に寄ってみる。ライトアップされた五重の塔は、薄曇りの夜空にくっきりと映えて美しい。また無性に「すき焼き」が食べたくなった時は、迷わず「ちんや」を訪問するつもりである。

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(すき焼)浅草今半

「浅草今半本店」 ☆☆☆

東京は今日も蒸し暑い。そんな梅雨の合間、浅草に「すき焼」を食べに出掛けた。訪れた店は有名な「浅草今半」である。休みの昼下がりに晩の予約を入れてみると、二階の大広間なら空いているとのことだ。

田原町駅から浅草ビューホテルを目指し国際通りを歩いていくと、通りに面して「浅草今半本店」の三階建ての白い建物が見えてくる。この店は明治二十八年に創業され既に百十年間も営業を続けられている老舗だ。現在は、暖簾分けなどで都内に「今半」を名乗る組織は五社ほども在るようだ。

店の暖簾を潜ると何組もの客達が料理を楽しんでいる二階の大広間に案内された。そこは「下町情緒が漲(みなぎ)る大広間」のフレーズとおりの雰囲気である。先ずは渇いた喉を生ビールで潤す。お通しで供された「すき焼佃煮」もさすがに美味い。

この店のすき焼コースは六千三百円から一万二千六百円まで四コースがあり、当日は特選銘柄牛すき焼御膳(一万二千六百円)を注文した。冷酒は秋田の銘酒「天壽」の純米を頼む。飲み厭きしない甘口の酒で牛肉の風味と良く合う。

本日供された料理はつぎのとおりだ。

①先付け「養老豆腐」

(養老豆腐とは山芋の豆腐で、器にジュンサイと出汁が張られている。)

②前菜五点「鱧寿司、ベビーコーン、ジャコとピーマンの炒め物、枝豆の茶巾、フルーツトマトの甘煮」

(ホオズキの赤い袋をトマトの甘煮の容器に見立て、飾りつけに梶の葉や、紫黒色の葉脈が鮮やかな茄子の葉を使うなど、さすがは老舗の気遣いだと感心する。)

③「特選銘柄牛すき焼」

(最初はベテランの仲居さんが給仕してくれる。すき焼は、「割り下」を用いて牛肉を煮る関東風と、脂をひいた鍋で牛肉を焼き、砂糖や醤油で味付けしていく関西風とがある。この店は、醤油、味醂、砂糖などで予め「割り下」が作られていたが関東風ではない。丁度、中間の調理法を採っていた。

それは特注の浅鍋に割り下を少し注ぎ、出汁が沸騰した瞬間に霜降りの牛肉を入れる。そして数秒間で焼きあげて、とき卵に絡めて賞味する。言葉にならぬほどの牛肉の旨味が口中に広がっていく。

付け合せは、春菊、白菜、椎茸、長葱、玉葱、丁字麩、白滝などだ。店の割り下は甘過ぎず、さっぱりとしている。その割り下で焼くように煮るのが浅草今半流のようである。

そして質の違う牛肉を二人前(霜降り肉六千三百円、極上霜降り肉八千四百円)も追加してみた。牛肉はサシが少なめなものが一番美味いと感じた。)

④「御飯、味噌汁、香の物」

料理全体の印象は、この店の「すき焼」は、牛肉と「割り下」の味がバランスよく調和して、最後まで美味しく味わうことが出来たと思う。ただ「肉を焼くように煮る」という手法を採る為に、慌ただしく急かされた感じは受けた。

明治時代は、浅草で牛鍋を食べる事がハイカラとされていたらしいが、粋な「浅草今半」は一世紀を越えた今も健在であった。

帰路、連れの希望で『梅園 本店』に「粟ぜんざい」を食べに寄った。ここも百五十年も店を構える老舗だ。粟ぜんざいは、雑穀のモチキビを蒸し上げ半づきにして、たっぷりの漉し餡が掛けられた逸品だ。汗を掻きながら絶妙な熱々の椀を味わった。

浅草は素敵な街である。

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